不登校新聞

創刊号(1998.5.1)

【報道】所沢高校 自分たちのことは自分たちで

2013年03月06日 14:38 by koguma

大人がむずかしくしている?

「卒業式ボイコット」、「分裂入学式」など、マスコミをにぎわせた所沢高校。自分たちで卒業記念祭・入学を祝う会を開催した子どもたちと、日の丸・君が代のある「厳粛な」式を開いた校長とが対立した。生徒会、教師、校長、教育委員会、文部省、文部大臣と、またたくまに大騒動になったが、騒ぎが大きくなればなるほど、子どもたちの現実からは浮いてしまったように見える。いったい何が問題で、何が問われているのだろうか。

 「私たちは日の丸・君が代に反対しているんじゃない。押しつけられることに反発しているだけ」、「一人ひとり意見や考えはちがっていて、それをおたがいに認めあえることが大切」、「自由だからこそ、一人ひとりに責任がある」

 卒業式を「ボイコット」したと騒がれた卒業生たちに話を聞くと、マスコミで報道されている印象とはずいぶんちがうものがあった。彼らが言いたいのは、つまりは自分たちのことは自分たちで話し合って決めたいという、あたりまえのことで、それを大人が勝手にむずかしい話にしていると感じられた。

 そもそも所沢高校では、すべての行事を、自分たちで話し合いながら決めていた。そこに新しく校長が赴任してきて、昨年の入学式の際、話し合いにも応じず一方的に日の丸の小旗をかかげ、ラジカセで君が代を流したのである。

 生徒会では、九〇年に日の丸・君が代を公の場や儀式では使わないという決議をあげている。しかし、この問題を日の丸・君が代問題として見てしまうと、焦点がいささかズレてしまう。子どもたちが反発したのは、むしろそのやり方についてである。

 今回の卒業式や入学式にしても、自分たちで話し合いながらつくりあげようとする子どもたちと、一方的に「厳粛な」式を求める校長とが対立した。

 自分たちのことは自分たちで決める――学校の外から考えればあたりまえのことで、問題にされているのが不思議なくらいだ。

 PTA会長の沼尾孝平さんは、「子どもを一〇〇%信じればいいだけのことです。表現したいことを押しこめたり、ワクにはめたりするのはおかしい。子どもたちが自分のありのままでいられることが大切」だという。

 卒業生たちは、「所沢高校ではいじめの話などを聞かないし、ナイフ事件など想像もつかない。それは、自由でおたがいを認められるからじゃないか」と語っていた。

 あたりまえのことがあたりまえに許されない。子どもが自分たちで楽しくやっていることを、大人が勝手にこむずかしくしてしまっている。子どもから見ると、自分たちと関係のないところでさわぎが起きているように感じるのではないだろうか。(東京編集局・山下)

保坂展人さん談

 所沢高校の子どもたちが学校が好きだと言ったり、学校が楽しかったり、いじめがないと言っているということは、文部省的に見てもいいことのはずですよね。ところが、校長や教育委員会は、そういうよさをつぶしても日の丸を掲げさせたいという、本末転倒なことをやっている。

 子どもたちは、そういうやり方に反発した。自分たちのことは自分たちで決めていく、それがたとえ日の丸・君が代の問題であっても、自分たちで決めるんだというところに、校長が一方的に踏みこんだために反発したわけです。

 しかしそれは、校長や教育委員会には伝わらなかった。マスコミでも、日の丸・君が代だけに反発しているかのように報道されてしまった。

 所沢高校の子どもたちがイキイキしているのは、子どもはチャンスがあればみんなのびるし、自分たちでトライしていくんだということをあらわしていると思います。そういう意味では、不登校で悩んでいる子どもたちが自分を取り戻していくのと同じことではないかと思います。

 学校のなかでも、自治空間で自分たちでいろんなことができるとなると、問題はむしろなくなるわけですよね。ですから、「ナイフをなくせ」といいながら、管理を強めていくような文部省や教育委員会の考え方は変わらなければダメだと思います。

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