不登校新聞

339号(2012.6.1)

食べるいのち 最終回

2013年07月30日 11:21 by kito-shin

長く生きられなくても

 企画を始めるまで、鶏肉は機械的に生産されているものだと思っていた。実際、映画「いのちの食べ方」を見てもベルトコンベアーに乗せられたひよこたちの群れは、動物というより、機械に近い印象を受ける。だけど、実際育ててみると、卵からひよこへ、ひよこから鶏へ、この道のりのなんと険しいことか。

 初代鶏の「メルシー」の骨格標本をつくるとき、その体内を切り開いて臓器を見たとき、どれかひとつでも動くことをやめてしまったら、生命を維持できない。すべてのパーツが生きることに必要なものだと、気づいた。

 アヒルを購入しさばいたとき、油が多いのかヌルヌルとして、刃が入りづらく、また凍っていて解体するのに苦戦したせいもあるのか、やはりどこか機械的なものにうつった。あのアヒルが、小さかったころ、それから、大人になってからのしぐさを、想像できない。

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