チェルノブイリ事故から22年――。旧ソ連時代の1986年、原子炉が爆発事故を起こし、大量の放射性物質が飛散。大気や水質の汚染、甲状腺ガンや母子感染など甚大な被害をもたらしたことはいまでも記憶に新しい。わが国では現在、55基の原子炉が稼働しており、今後も新たな原子炉の開発が進められている。「地震大国ニッポン」と称される日本において原発問題を考えることの意味とは何か。NPO法人「原子力資料情報室」(以下、CNIC)代表の伴英幸さんにお話をうかがった。
CNICは1975年、日本各地で原子力発電所の建設ラッシュが進むなか、これに対抗して発足した。原子力発電所の設置に反対する地元住民と連携を取り活動を続けるさなかに、チェルノブイリ事故が起きた。
「たんに原発反対と叫んでいるだけではダメだと感じました。原子力政策を変えることが必要で、原子力に代わるエネルギー資源のあり方を模索するべきだと感じました」と、伴さんは語る。
当時、代表を務めていたのは科学者であり、市民の立場に立って原発運動にとり組んできた高木仁三郎さん。高木さんが唱えたのは「反・原発」から、「脱・原発」への転換だった。原発から脱するためには、ライフスタイルの見直し、つまりエネルギー消費のあり方を見直すこと、もう一つが再生可能エネルギーの活用である。この2つのとり組みが必要であると訴えるなかで、CNICでは「脱・原発」の道を模索してきた。
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