90年代半ばの精神科医療は、先号紹介した門氏の論文に見られるように、80年代と比べれば登校拒否への理解がすすんできた面があった。
これは日本児童青年精神医学会の内部で、人権委員会を中心に稲村博論文への批判が進んだり、「医療にかけて治す」という発想ではない市民の活動や、92年の国の不登校に対する認識転換による行動の変化が与えた影響もあったと考えられる。
しかし、市民サイドからいうと、「理解を示す専門機関が増えてきたが、まだバラつきがあり、不必要な精神科入院、それも閉鎖病棟や大人の精神病棟にいっしょにいれられ、よけい不安状態を倍加させたケースもある。投薬づけ、電気ショック療法なども報告されている。医者が登校させるべきだと考えていると、何らかの治療の対象とされ、子どもの自我に自己否定的歪みを生じさせたりもする」、「親にだまされて医療機関に連れてこられた子もいる」などの状況があった。
読者コメント