不登校新聞

創刊号(1998.5.1)

【論説】「創刊にあたって―生命の側に立って」

2013年03月06日 14:35 by koguma

 生命をもつものは、皆、同種であっても個々に違う。いつだか子どもたちと、ヒメジョン十本、ミミズ十匹ならべてみたことがあるが、どれ一つ同じものは無かった。

 人間の子どもも生命のかたまりである。個々の生命の在り様は色々であり、また、こうあるべきと期待されても、生命というものは、おのれが体験した空間と時間の重なりに素直に反応を出していく。 子ども・若者の不登校もまた、自然な生命の反応である。一個の生命たるその子にとって、そのとき、学校と距離をとることが何らかの意味で必要であったり、自然であったのだ。

 言いかえると、不登校が問題なのではなく不登校を問題とする社会こそ問題なのである。 子どもが育つのは学校だけではない、という気がついてみれば当然のことを、子どもを苦しめ、追いつめないとわからないなんて、当の子どもたちは たまらないだろうが、私たちは生命の側よりも、制度や常識や建前の側を優先する生き方や、学歴社会の中で身につけた価値観を不登校と出会うことによって問 い直された。私たちが不登校から学んだ事は豊かだ。

 二〇年にわたる経験とつながりあいを土台に、今日「不登校新聞を創刊できることは、 朝焼けの空に向かって立つような、万感胸に迫る思いがある。非営利市民活動として、不登校の親・子、それに係わるいわば当事者が主体になりながらの全国レ ベルのメディア発刊を可能としたのは、親の会などの全国ネットワークの拡がりという空間的な条件と、年月たつ中で、体験者たちが成長し人生を築き「不登校 はこわくない」と実際に示してくれた時間的条件があったと思う。ここまで協力して下さった多くの方々に心より御礼申し上げたい。

 そして、孤立して苦しい 方にほっとしていただけるような新聞、偏見や差別が解消され、それぞれの生命の在り様が大切にされる文化や社会づくりに一石を投じる手づくりの新聞を、楽 しく、気長に発行していきたいと思う。(東京編集局理事・奥地圭子)

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