不登校新聞

232号(2007.12.15)

わが家の場合「幸せの瞬間」

2014年12月11日 14:22 by nakajima_


 「お誕生日おめでとう」の私の言葉に、娘の"産んでくれてありがとう”の言葉が重なった。親として、これほどうれしいことはないと思えた瞬間。娘の18歳の誕生日に日付が変わったときのことだ。

 彼女は9歳の秋、突然、学校に行けなくなった。「行きたいのに行けない……」と毎日毎日、泣き続ける娘の姿は痛々しく、ありったけの言葉で励まし抱きしめることしかできない自分がもどかしかった。

 転校先の学校での学級崩壊がきっかけで不登校になったため、娘の希望で以前いた学校に戻れたものの、校長どうしの険悪なムードに巻き込まれるかたちとなり、ふたたび不登校になった。そんな娘につらい登校刺激をくり返し、学校とのやりとりには全身のエネルギーを奪われた。

 以降、家で過ごすことになるが『学校に行って当たり前』という意識を持ち続けていた娘から生まれたものは"激しい自己否定”だった。

 今の彼女からは想像もできないぐらい、悲惨な毎日に、一日が長く感じられた。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

わが子を信じて待つ~“待つ”の意味をまちがえていませんか?

485号 2018/7/1

「不登校の理由を教えて」今でも後悔している息子への対応【特別企画・親子ともに不登校~母親編】

481号 2018/5/1

今ならわかる 親としてがんばってるのに空回りし続けたワケ【不登校の子を持つ親に聞く】

476号 2018/2/15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

486号 2018/7/15

僕は本当に苦しかったとき、何も言葉にすることができなかった。でも今なら音楽...

485号 2018/7/1

不登校の未来を見据えた際になにが必要か。「子どもと学校制度のミスマッチをど...

484号 2018/6/15

2014年に解散したヴィジュアル系バンド『ν[NEU]』の元リーダーで、現...