連載「渡辺位さんの言葉」


 はじめて渡辺位さんを迎えて講演会をしたときに、子どもは生物であると話された。生きたものとして、自然のありのままを子どもは生きているという指摘に、ハッとさせられた。
 
 腐ったものを食べれば、吐き出したり、下痢をしたりして反応するのが健康な人間なのであり、学校で自分に不都合なことがあれば、自己防衛反応はむしろ起こって当り前のことである。
 
 不登校・登校拒否は、子どものSOSと取られるより、子どもの主体的な行動と考えてみて、学校とへ行くか行かないかは、ありのままの子ども自身が選択しているとは考えられないか。
 
 子どもはその子なりの意見や意図的行動という強い意思表示がなくても、気持ちのうえで行きたくないとか、行ってもつまらないとか、いじめが怖いとか、ある意味では主体的な選びのなかで学校へ行かない状態が起こっている。
 
 ところが不登校に対する親の激しい反応を見て、子どもは今の自分の不登校という状況がただならない事態なのかもしれないと不安になる場合もある。親の不安をまねて、将来はどうなるのかと、親の見方や考え方が子どもを追い詰めることもある。

 親子関係においては、子どもが生まれたときは元気ですくすく育てば、そのありのままで「在ること」が喜ばれたのに、学齢期に達するようになると、よい子であることや従順であることなど「成ること」を親は期待しがちになり、親子のすれちがいはどの家庭でも起こりうる。

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