不登校新聞

403号 2015/2/1

母親が語る 小学生不登校 「生きていたくない」から「将来の夢」を持つまで

2015年02月02日 15:05 by shiko
2015年02月02日 15:05 by shiko


 今号は不登校中の娘(14歳)を持つ母親にお話をうかがった。

――お子さんの不登校はいつからですか?
 完全に学校に行かなくなったのは小学校4年生の秋ごろです。娘はまじめすぎるというか、責任感が強すぎて、責任のある立場になるのがイヤだったみたいなんです。それは小学校から始まったわけではなくて幼稚園のころからそうでした。幼稚園の年中組から年長組に上がるときに「行きたくない」と。どうやら「もうお姉さんでしょ」とか「小っちゃい子のお手本になって」と言われるのがイヤだったみたいです。
 
 小学校の4年生のときも、最初は「登校班がイヤだ」と。娘は集団登下校の際は、誰よりも早く集合場所に行き、登下校する際は班全員が私語をつつしんで登校させたい、と。テストもそんな感じで満点でないと気が済まない。なんでもかんでも完璧主義というか、どうしても肩の力を抜くことができず、自分自身が疲れはて、つぶれてしまったんじゃないかと思います。

――なるほど
 娘のこうした性格は、医師から「発達障害のグレーゾーンにあたる」とも言われています。幼児期から目が合わないというほどではありませんでしたが、コミュニケーションが苦手、こだわりが徹底している、聴覚からの情報処理が苦手、触られることを極端にいやがる、秩序立っていることが好きなどの特徴がありました。
 

沈黙が続く家のなかで

 
――不登校になってから親との関係は?
 主人と娘の関係はすごく悪かったです。主人は娘が学校に行かないと家で一言もしゃべらなくなるんです。主人の仕事は帰りが早くて、だいたい午後2時ごろ。それから寝るまでのあいだ、9時間ぐらいは家のなかでいっさい会話がない。そんな日が何日も続くのは、つらかったです。私も主人に「何か話したら」とか「話を聞いてあげたら」と言いましたが、口を開けば娘への説教(笑)。
 
 あのとき娘は学校でも家庭でも居場所がなかったです。当時のことは「逃げたかった」「死にたかった」と今でも言っています。
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