不登校新聞

225号 2007.9.1

Neatな人たち「私にとって“不登校、その後”」

2015年02月12日 09:56 by 匿名
2015年02月12日 09:56 by 匿名
 就職や進学をすれば、「不登校は終わり」なのだろうか。不登校から得た葛藤や思いは「その後」にも影響する。「不登校、その後」に何を考え、何を感じるのか。現在形の思いを執筆してもらった。

 「その後」というのは奇妙な言葉だ。終わるが終わらない。終わらないが終わる。そんな逆説的で両面的な響きをもっている。日本人の多くが知っているだろう「戦後 POST WAR」ということばもそうだ。戦争は終わったが終わっていない。そういう含みがある。

 他方、わたしにとって、「不登校」は、圧倒的に、終わってしまったものの側にある。学校という小さな世界の、そのまた小さな不登校というエピソード。強いて言えば、室町時代や古代ローマの一事件のようなものであるといえばいいだろうか。

 応仁の乱の「その後」やポエニ戦争の「戦後」として現代を語るのがむずかしいように、不登校「その後」として現在の自分は語りにくい。"したいこと”や"したくないこと”の基準が今とはちがいすぎてしまっているからだ。どういうことか、少し説明しよう。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

14年の心理士経験を経てわかった「学校へ復帰するよりも大切なこと」

621号 2024/3/1

「よくぞ無理やり行かせないでくれた」小・中学校で不登校した男性が親に心から感謝していること

621号 2024/3/1

「不登校の原因を説明できないのはなぜか」不登校経験者が語る「説明できる言葉」が存在しない理由

620号 2024/2/15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

621号 2024/3/1

「この歪んだ社会では『逃げること』以外に貫ける正義はないよ」。『みんなうんち』…

620号 2024/2/15

今回は数々の高校の立ち上げに携わり、不登校の子の進学事情にもくわしい時乗洋昭さ…

619号 2024/2/1

「私が心から求めていたのは自分と同じ不登校の親だった」――。兵庫県在住の足立き…