連載「不登校の歴史」
90年代半ば、東京シューレは、スペースが拡がるだけでなく、東京シューレ外の人たちとも積極的に交流し始めた。子どもたちは、元気でイキイキと活動した。とりわけ世界を広げたのは、海外との交流だった。海を越えて、フリースクールどうしの連携が生まれていくのである。そして、2000年には、「IDEC」の日本開催を実現するまでになるのだが、その一歩は、94年4月の「日米フリースクール交流」だった。
これは、じつにおもしろかった。アメリカの古いフリースクールであるクロンララスクールと東京シューレの中高生たちが、太平洋をわたっていっしょに相互の国を旅するというものだった。はじめの2週間は、クロンララの子たちが日本にやってきた。ちょうど桜の咲いている4月のことで、子どもたちは、まず東京でホームステイを1週間してもらいながら、お花見、サッカー、音楽会などで交流した。次の1週間は、さんざん実行委員会で練りに練っての企画だったが、京都と広島を案内することになり、東京シューレの子たちをあわせて、約40人の旅となった。
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