戦後62年目の今年は、日本国憲法施行から60年という節目の年。2つの原爆により、20万人とも30万人ともいわれる人が命を落とした。あれから60年あまり。2つの原爆からわれわれは何を学び、何を忘れてしまったのか。「原爆の図」で有名な丸木美術館を訪ね、事務局長の奈良間隆哉さんにお話をうかがった。
東京から電車に揺られること、1時間。都幾川の流れを背に、自然豊かな景観にとけ込むように丸木美術館はある。広島県生まれで水墨画家の丸木位里、油彩画家の丸木俊の共同制作「原爆の図」をはじめ、数々の絵が展示されている。 丸木夫妻は1950年に第1部「幽霊」を描き上げて以降、32年間にわたって15部にもわたる「原爆の図」を描きつづけた。その丸木美術館も、今年で開館40周年。多くの来館者から励ましや感動の声が寄せられる一方、美術館としての存続の難しさに直面している。
というのも現在、日本の私立美術館や公立美術館の多くがリストラや民間委託、そして閉館へと追い込まれている。その理由の多くが財政難だ。丸木美術館もその例に漏れず、一昨年の夏、幅広く緊急支援を募った。
「06年は有料入館者1万8000人あまり。ピーク時の80年代半ばには6万人を超えていましたが、その後は毎年のように減り続けています」。
都心から遠く、最寄り駅からも車で10分と、美術館としての立地条件はけっしてよいとは言えないこの場所に、なぜこだわったのか。その背景には、丸木夫妻の強い想いがあった。
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