連載「発達障害の息子と歩んだ16年」vol.6
発達障害で不登校の子どもを持つ親が本音を語るロングインタビュー連載「発達障害の息子と歩んだ16年」。今回は障がい告知のその後についてお話をうかがった。
――これまで発達障害とその「告知」についてうかがってきましたが、不登校についてはどうでしょうか?
いわゆる不登校という経験が息子にはないんです。小学3年生の3学期からフリースクール「東京シューレ」に通うことになったわけですが、小学校からそのままスライドさせた感じです。
なぜフリースクールだったのかというと、息子から聞いた学校での話を夫に話したとき、「それって、いじめの芽が出てきたんじゃない?」という一言がきっかけになりました。
障害の特性の一つでもある「時間の流れに自分自身を位置づけるのが苦手」な子でしたから、集団のスピードに合わせるのは容易ではないんです。まわりとぶつかるというよりも、どちらかというと受け身のタイプですし、言葉や態度で受ける攻撃や負荷に対するパニックのエネルギーを自身の内側に向けてしまう子なんです。
夫は「学校にかぎらず、息子が生きていく力を育てる場所はここだけではない」という思いを持っていました。「セルフエスティーム」へのアンテナを同じように張ってくれていたということが本当に心強かったです。「るりさん、そういうの探すの得意でしょ」って言われて、私も絶対見つけようって思いましたね。自分たちでレールを見つけるというか、何かが始まるワクワクするような思いで探し始めました。
成功体験を増やしたい
数年前に「キッズ・ウォー」というテレビドラマのなかで「フリースクール」というのが出ていたのが記憶の片隅にあったので、ネットで検索したら、「東京シューレ」が飛び込んできました。
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