連載「発達障害の息子と歩んだ16年」vol.7
発達障害で不登校の子どもを持つ親が本音を語るロングインタビュー連載「発達障害の息子と歩んだ16年」。今回は母親として葛藤してきたお話をうかがった。
――「告知」が成功し、親の覚悟もできた一方、つねに葛藤もあったということですが、具体的には?
そうですね…パッと浮かぶのは、持ちまわりで行っていたPTAでの校庭当番のときのことですね。6年生の3学期だったので今から4年前です。
息子はフリースクール「東京シューレ」に通っていたので、地元の小学校には籍を置いているだけで、まったく通っていませんでした。とはいえ、私はPTAで行なうパトロールや校庭当番などにはかならず出席していました。
「じゃあ、僕も行く~♪」と息子が言い出したとき、正直戸惑ったんです。この時期、6年生が居ることはまずないだろうと察しがついていたし、そこで浮いてしまうことも容易に想像できたので。学校に着くと、裏門の鍵を開けるんですが、錆びた鉄門はとにかく冷たくて、重かったのをおぼえています。
下級生の子どもたちが門を開けたとたんに校庭に走って、名簿に名前を書いて遊具を借り、遊び始めました。女の子たちは竹馬や一輪車、男の子たちはサッカーでした。クラブチームのユニホーム姿の子もいて、走るスピード、蹴るボールに迫力を感じましたね。
そこに、息子が来ました。バットで素振り、ネットに向かってノックしたり、その後はバスケットボールでドリブル、自由気ままに遊んでいました。そんな姿を見ながら、ともに校庭当番であるとなりのクラスのお母さんと話をしていました。息子がフリースクールに行っていることを知っていて「元気に楽しそうでよかった」と言ってくれました。だけど、となりのクラスでは臨時保護者会を開いたばかり。大問題が起こっていたらしい。その話を聞きながら、なぜかじわじわと涙が溜まって来るんです。
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