――まず現在のご職業からお聞かせください。
 今はホームページを制作する会社で正社員として働いています。その前は埼玉県越谷市にあるフリースクール「りんごの木」のスタッフをしていました。

――武田さんは早い時期に不登校になったとうかがいましたが?
 小学校には3日間行っただけ、それから1日も学校に行っていません。じつは保育園の年長から行きしぶるようになっていたんです。きっかけは、仲のよかった女の子がまわりからいじめられるということがあって。その雰囲気がとにかく怖くて行けなくなりました。
 
 ただそれが私の不登校に直結していると気づいたのは、10代後半になってからです。ある日、いじめに関する講演会でほかの人の体験談を聞いているうちに「あれ、これって私にも当てはまっているな」って思って。何が怖かったのか、その理由を鮮明に思い出したんです。もちろん大好きな子がいじめられていたからということもあります。でも、それだけじゃなくて、友だちだったその子を助けるどころか、私自身もその子と一線を画して付き合うようになっていたんです。漠然としていた恐怖の根っこに触れた気がしました。
 

母の思いを無駄にしてしまった

 
――「小学校を3日だけ」というのは、ご両親もあわてたと思いますが?
  初めてのことだったし「何で学校に行かないの?」と思っていたんじゃないかと。でも私は「怖い」と言うばかりで、ひたすら泣いていました。とはいえ、何も考えてなかったわけじゃありません。「私が原因で両親をすごく悲しませているだろうな」という申し訳なさをいつも感じていました。
 
 とくにおぼえているのが「算数セット」ですね。入学と同時に、定規とか小さいサイコロとか入ったお道具箱をもらえるじゃないですか。その一つひとつに母が私の名前を書いてくれたんです。でも、学校に行けない私はもうこれを使えないわけで、そう思うと、母の思いを無駄にしてしまった気がしてすごくショックだったんです。25年も昔のことですけど、いまだに思い出すだけで胸にこみあげてくるものがあります。

――かんたんに言うと、罪悪感ですか?
 たぶん、そうですね。しかも、ただでさえ悲しませているであろう両親に対し「学校に行きたくない」や「両親への申し訳なさ」を言葉にして伝えたら、最後通告になってしまうような気がして何も言えなかったんです。でもだからといって学校に行くことはできないんですけど。
 
 これって私だけじゃないと思います。親が思う以上に、子どもは子どもなりに親のことを考えているし、それに伴う罪悪感と毎日向き合っているんだろうなって。「何もしゃべらないから何も考えていない」ってことじゃないんです。

――家ではどうすごしていたんですか?
 両親が「家でやっていこう」と早い段階で言ってくれたのは助かりました。とはいえ、罪悪感が急になくなるわけじゃありません。最初のころは、家中のカーテンを閉め切って、押入れのなかですごしていました。電話や玄関のチャイムなどの音にも過敏になっていました。「学校に行けない私はこの世界に触れちゃいけないし、誰かに見られてはいけない存在だ」って思い込んでいたからです。最初の半年ぐらいはそういう状態でこもりっぱなしでした。小学生のころは、父が買ったキャンピングカーで出かけたりしていましたが、中学生くらいになると、漫画やゲームといった家のなかでの遊びの楽しさに目覚めてしまって。それから足掛け10年、ほとんど家を中心にすごしていました。

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