不登校新聞

410号 2015/5/15

私の不登校「家から出られない~強迫神経症と向き合って」

2015年08月20日 15:57 by koguma



 今回お話を聞いたのは、小西菜月さん。中学受験を機に小学6年生から不登校になった。その後は不登校での葛藤よりも、「強迫神経症」と向き合う日々だったという。外出できず、手洗いも止まらないなど、つらい時期をすごした。その当時どんなことを考えていたのかをふり返りつつ、現在取り組んでいる「ふとうこうカフェ」についてうかがった。

――現在のご職業からお聞かせください。
 一昨年の年末から都内のカフェで働いています。4月から店長を任されることになりました。働き始めてまだ1年ちょっとだし、まだ何もできないのにどうしようって感じなんですけどね(笑)。

――責任重大ですね(笑)。ではさっそく本題に入りますが、不登校をしたのはいつからでしたか?
 小学6年生の2学期からです。学校が大好きだったわけではないけど、とくにきらいだということもなく、わりと元気に学校に通っていたんです。行かなくなったきっかけは中学受験でした。
 
 5年生の3学期ごろから塾に通い始めたんですが、6年生の夏休みになると毎日塾に通わなければいけなくて、どんどん忙しくなっていって。そのうち、塾に行く前や着いたとたんに体調を崩すようになってしまったんです。
 
 夏休みが終わり、2学期の初日。いつも通り学校に行ってみたものの、塾のときと同様、気分が悪くなってしまって。それが私の不登校の始まりでした。
 

動こうと思っても動けないんです

 
――急な話で、ご両親もあわてたのでは?
 そうですね、最初は無理に行かせようとしていたし、「気分の問題だ」って済まされてしまうこともあって。でも、学校に行こうとすると、本当におなかが痛くなるし、気持ちも悪くなる。動こうと思っても動けないんです。
 
 そんなとき、母が『東京シューレ物語』(1991年・教育資料出版会)という本を図書館で見つけてきました。「学校に行かないで生きる」という考え方にふれた最初だったそうです。
 
 とはいえ、「もう学校には行かなくていいよ」とはすぐに思えなかったみたいで、学校まで付き添ってくれたこともありました。それでも私は学校に居られなかったんです。そんなやりとりを1カ月ぐらい続けたかな、どうしても学校に行けない私を見て、「無理に行かなくていい」と言ってくれました。

――「行かなくていい」とまわりが言っても、「行かなきゃダメだ」と焦る子どもは少なくありません。そういった葛藤はありませんでしたか?
 それはなかったです。不登校関連の本を自分でも読んでいたし、親の会に参加した両親の話を聞いたりしていたことも大きかったのかな。まぁ、ほかにもっとたいへんなことがあったからなんですけど。
 

自分の本心を打ち明けられず

 
 ただ、両親は「学校に行かなくてもいい」とは言ってみたものの、「ずっと家にいたままではダメだ」と考えたのか、いろんな場所に連れ出そうとしました。
 
 買い物に付き合っていっしょに出かけてみるんですが、外出先でやっぱり気分が悪くなってしまう。旅行もいろいろ計画してくれるんですが、「旅行なんて行けるわけがない」というのが私の本心なんです。でも、なかなか言い出せなくて、ズルズルと日にちばかりがすぎ、旅行に出かける直前、出発当日の朝になって「私はやっぱり行けない」なんてこともありました。

――本心を打ち明けられないというのは、何か理由があってのことですか?
 性格なんだと思います。今もあまり得意じゃないかもしれないけど(笑)。
 
 小さいとき、それこそ幼稚園に通っているころから、思っていることを言葉にして伝えるのが苦手でした。    

 両親からは「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」と言われることもあったんですけど、そういうふうに詰め寄られちゃうと逆にプレッシャーで話せなくなってしまって。
 
 自分でも不思議だったんです。外に出ることがなぜ怖くなってしまったんだろうって。塾にはバスに乗って一人で通っていたし、買い物だって難なくこなせていました。今まで当り前のようにできていたことが急にできなくなってしまって。そのときは、とにかく漠然とした不安感が強くて「この先、私はどうなってしまうんだろう」と不安でたまらなかったです。
 
 そして中学2年生のとき、潔癖症というか、手に触れるものが汚いと徐々に感じるようになっていったんです。「強迫神経症」ですね。

――先ほど「不登校よりもたいへんなことがあった」とおっしゃいましたが?
 はい、「強迫神経症」です。だから私の場合、不登校で葛藤したというより、「強迫神経症」のほうがずっとずっとたいへんでした。「たいへん」なんて一言では語りつくせないくらい、とにかくつらかったです。

 「地面が汚れている」と思うようになったのが最初のきっかけです。汚い地面に触れたズボンを履いていると、家じゅうが汚れていくような気がして。そうなってくると、家具とか電気スイッチとか、手に触れる物すべてが触れなくなってしまったんです。「あれもダメ、これもダメ」という感じで、自分が居られる場所がどんどん狭まっていく感じ。何か一つ気になると手洗いも止まらなくなるし、外が明るくなるまで何時間もお風呂に入っていたときもあります。
 
 調理器具が汚れていると感じるようになってからは、ご飯さえも食べられなくなりました。そんなときは、レンジでチンするだけのご飯を母が買ってきてくれて、それにふりかけをかけて食べていたのですが、食べる量もどんどん減っていきました。
 
 そして、最終的には自分のベッドの上にしか居られなくなりました。そういう期間が1年ぐらい続いたかな。何でこんなことになっちゃったのかわからないし、将来は不安だし、かといって、無理に何とかしようとしてうまくいくものでもないし。毎日のように泣いていましたね。
 

自分を責めずに無理しないように

 
――いちばんつらい状況にまで至ったとき、どんなことを考えたんですか?
 「こんな自分じゃダメだ」と自分を責めること、そして「どうにかしなきゃ」と無理に動こうとすること。私にとってこの2つは逆効果だったんです。たしかに、自分じゃどうにもならない状況でしたが、60歳、70歳までこの状態は続かないだろうって。確信があったわけじゃないけど、開き直るというか、「今はこういう時期なんだ」と考えるようにしたんです。今の状況を何とか変えようとするんじゃなくて、そのまま受けいれてしまったほうが楽になるんじゃないかなって。そう思うことで、だいぶ楽になれたし、自分が居られる場所をベッドの上から広げてもいいかなって、しだいに思えるようになりました。理屈でなく感覚ですね。もちろん、そう思えるまでにはだいぶ時間がかかりました。


 
 特別なきっかけがあったわけじゃありませんが、その当時は、母とたくさん話し、自分自身でもよく考えました。母とは毎日のようにとにかく話をしました。中学受験のことや不登校になったときのこととか。いつも深刻な話ばかりじゃなくて、何気ない世間話をしていたこともあります。
 
 あとは、食べるようになったことも大きいかな。あるとき、体重を測ったら30kgを切っていたんです。食が細くなっている自覚はありましたが、自分がそこまで痩せていることにはまったく気づきませんでした。医者に診てもらい、点滴を受け、そこから少しずつ食べるようになりました。

――ふたたび外出できるようになったのはいつごろなんですか?
 中3の6月ぐらいから少しずつ外出できるようになったんですが、そこでだいぶ無理をしてしまって。反動で、また家から出られなくなってしまったんです。ちょっとずつではあるけど動けるようにはなったし、ここからはよい方向に進んでいくだろうって思ったんですけどね。
 
 ただそれを機に、「無理せず、焦らず、ゆっくりやっていこう」というふうに自分の中で切り替えることができました。それから1年ぐらいかな、家からはほとんど出ずに、朝から晩まで料理ばかりつくっていました。時間はたっぷりあるので、豆腐を大豆からつくったり、和菓子の練り切りに挑戦したり。そのうち、家族の夕食をつくるのが私の役目になっていったり。
 
 そうやって、自分のやりたいことをやりたいだけ、自分のペースでやっていましたが、家の中でできることをある程度やりつくすと「ヒマだなぁ」と思うときも少しずつ増えてきて。
 
 とはいえ、いきなり高校に通うなんてことはできないし、しんどい状況でも無理をせず、自分のペースに合わせて通える場所はないかなって考えていて見つけたのがフリースクール「東京シューレ」でした。自分が自分で居られる場所っていうのは、当時の私にとっても、すごく重要でしたし、そのときの経験や感じたことって、今の自分の生き方や仕事にも活きてきていると思うんです。私にとって「シューレ」は「自分を変えてやっていける場所」ではなく「今の自分のままで居られる場所」でした。今働いているカフェも小さなお店だし、ホールもキッチンもいろんなことをこなさなくてはいけないけど、ありのままの自分で働けるから楽しいと感じるし、やりがいもあるんだと思います。

――本業とは別に「ふとうこうカフェ」という活動もしているそうですね。
 友人に誘われ、1年ほど前から活動を始めました。不登校を経験し、フリースクールやホームエデュケーションで育った4人が集まり、「大人も子どもも関係なく、集まった人たちどうしでお茶を片手にのんびりすごせる居場所を」との思いから、地域のお祭りやカフェなどを間借りして開いています。「一日フリースクール」と称してものづくりを楽しむ日もあれば、トークイベントを開くときもあります。6月に東京・池袋で開く「ふとうこうカフェ」では、私がスピーカーとしてお話する予定です。


フリフェスでは「ふとうこうカフェ」としてブース出展も

 私個人の思いとしては、「ふとうこうカフェ」を通じて世の中を大きく変えたいとか、そんな大それたことを考えているわけじゃないんです。でも、テレビとか新聞で不登校が取り上げられているのを見ると、やっぱり気になります。今の職場でも、お客さんとか近所の人とか、ふとした会話の中に不登校という話がポンッと出たりする。そんなとき、「不登校を経験したけど、カフェで働いたりしながら、何だかんだ今は元気にやっている人が知り合いにいるよ」って言ってもらえる存在に私がなれたらいいなって思うんです。もっと言うと「不登校でも大丈夫です」と言いたいわけじゃなくて、「どんな状態でもいいじゃないか」ということを伝えたいんだと思います。世の中にはいろんな人がいるし、いろんな生き方があると思います。そういう多様性があることが大事なんじゃないかって。今取り組んでいる「ふとうこうカフェ」も、そういうことを実感できる場の一つになればいいなって思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣)

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