不登校新聞

411号 2015/6/1

父親が不登校の娘にできた3つのこと

2015年05月29日 15:02 by shiko
2015年05月29日 15:02 by shiko


 今回、お話をうかがったのは三輪英児さん(NPO法人プレーパークせたがや理事・事務局長)。シングルファザーとして不登校に直面してきた。今号では三輪さんに親として「娘にできたこと」をうかがった。

――お子さんが不登校されていたと聞きましたが、どんな対応をか?
 不登校だからといって、あらためて特別なことはしませんでした。というのも、わが家は17年前から、いわゆる父子家庭です。長女が5歳、次女が3歳のときでした。これまで家事はしてきましたが育児はまったくの初心者。すぐに行き詰まり、家庭だけの育児に限界を感じ、謙虚に修行しようと思い、環境を整備していたのが大きかったです。

環境整備と夕飯とセーラームーン


――具体的にはどんなことをされたのでしょうか?
 一番大きかったのは「駒沢はらっぱプレーパーク」(7面参照)の近くに引っ越したこと。やはり一人親になると、子どもとの関係の深度がちがいます。子どもはたくさんの愛情を求めてくるし、大人が伝えなければいけないこともある。けれども、その環境は、わが家だけでは足りない。なので家庭をプレーパークにまで広げて子育てしていきました。娘たちには「父親で足りない愛情は、他人からもらってくれ」と。
 
 半分は冗談ですが、半分は本気というか(笑)。プレーパークのなかに居場所と役割を見つけ、さまざまな大人に支えられたのが大きかったと感じています。


 
 一方、他人にお任せするだけでなく私自身が実践したのは、子どもと共通の話題と世界観を持つために「美少女戦士セーラームーン」(92年~97年放映)のビデオ鑑賞。全230話、子どもといっしょに完全制覇しました(笑)。それと毎日の夕飯は子どもたちの希望を絶対に叶えること。毎日「なにが食べたい?」と聞いて、それをつくる。一度、うわさを聞いて「ウソだ!」と思った娘の友人が食べに来たこともあります(笑)。

 やっぱり、早々に「わが家だけじゃダメだ」と思い、「謙虚に修行しよう」と切り換えられたのがよかったのだと思います。女性だらけの育児の世界に一人で飛び込み、運営委員、保護者会会長など、いろんな役を引き受け「先輩たち」から情報収集しました。学んだのは「見えない愛情は無いのといっしょ」「コミュニケーションで愛情を伝えることこそ育児」「他人からも愛される環境が必要」ということあたり。それを具現化したのが引越しとビデオ鑑賞と夕飯です。
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