不登校新聞

332号(2012.2.15)

不登校の歴史 第332回

2013年08月01日 11:59 by kito-shin
2013年08月01日 11:59 by kito-shin



フリースクールがなぜ学校を


 特区を活用したら、もしかして学校を創ることができるかもしれない。しかし、創ることに踏み出すほうがいいのか、悪いのか。長いあいだ、学校以外の居場所・学び場を創り出し、その必要性を訴え、「学校のみが成長の場ではない、いろいろあっていい」と主張してきた東京シューレが学校になるとか学校を創るとかいうことになると、不登校運動をどう考えたらいいのか。そういった問題が浮上し、シューレのなかで議論が沸騰した。スタッフどうしで、親のあいだで、スタッフと親、スタッフと子どものあいだでも。2002年秋からの議論は、学校とは何か、不登校とは何かを考えることを試される貴重な期間でもあった。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

第18回 寝屋川教師刺殺事件【下】

232号(2007.12.15)

最終回 家庭内暴力とは何か【下】

232号(2007.12.15)

第232回 不登校と医療

232号(2007.12.15)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

625号 2024/5/1

「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…