不登校新聞

330号(2012.1.15)

誰かに受けとめられてこそ 不登校経験者に聞く

2015年08月20日 15:50 by kito-shin



不登校当事者 島夢美さんに聞く


 「保育園のころから行きたくなかった。何をするにも時間がかかって、みんなにあわせられなかったし、いつもボーっとしていて妄想ばかりしていた」。
 島夢美さん、20歳。中学2年生で不登校。不登校の始まりを聞くと保育園のころの話から始めてくれた。「いつもボーっとしている」ためよく周囲から叱られたそうだ。しかし、なぜいつもボーっとしていたのだろうか。

 夢美さんの物心がついたとき、すでに両親の不仲は決定的だった。持病を持つ父親はなかなか働けず、生活費はギャンブルにつぎ込んでしまう。母親はよくお酒を飲んで荒れた。「お酒を飲むとママはママじゃなくなる」、夢美さんがそう思ったのは保育園児のころ。

 必要性や正当性があっても両親の言い争いが、直接関係のない子どもの気持ちを傷つけてしまうことはよくある。夢美さんは保育園児のころから「死にたい」と願い始め、首にハサミの刃を当ててみたこともあった。

複雑な「大人」を理解するため


 結局、夢美さんが小学校2年生のときに両親は離婚。離婚を告げられた際、「続かないだろうなあ」と思えたほど心は成熟していた。

 夢美さんが「ボーっと妄想ばかりしていた」と言った時間は、複雑な家庭環境や「大人」を理解するために悩んでいた時間なのではないだろうか。そんなときに学校の勉強や集団に気を遣うほどの余裕はない。通っていた学童でのいじめもそれに拍車をかけた。

 中学生になって押し込めていた感情があふれ出てきた。母子家庭になり、母親との関係のなかで泣き出したり怒り出すことが増えてきたからだ。

 周囲の大人にはさんざん相談した。祖父母、親戚、担任、保健室の先生、スクールカウンセラー……、だが誰も「気持ちを理解してくれる人はいなかった」と言う。満たされない気持ちを友人に求めたが、やはり満たされなかった。さらにその友人との関係も破綻。これが不登校の直接のきっかけになった。

 不登校を心配した祖母から東京シューレをすすめられ入会。夢美さんはこれまでと同様に自分の話をスタッフに話し始めた。スタッフは何時間も何時間もその話を聞いた。およそ3年間、ただひたすらにスタッフに自分の気持ちを話し続ける日が続いた。

 「やっと話を聞いてくれる大人に出会えた。私の側に立って話を聞いてくれて受けとめてくれて、客観的に理解してくれた」。

 いま夢美さんはシューレに入ってから6年目。通い始めて3年目ごろ「不登校の子どもの権利宣言」の作成に関わり始めた。自分の経験を話し、他人の経験をたくさん聞いた。感動もしたし、何か自分にはできないかという思いがわきあがっていた。それがいまを支える原点となり、不登校を題材にした映画『不登校なう』の製作に関わってきた。

 「自分の気持ちを他人に受けとめられて、初めて自分で自分を受けとめられる」。

 そのことを伝えていきたい。夢美さんはそう自分に誓っている。(石井志昂)

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