不登校新聞

414号 2015/7/15

30年前“登校拒否”は 青木悦

2015年07月14日 12:38 by kito-shin



 「不登校の子どもの居場所をつくりたいんです。その呼びかけ人になってくれませんか」
 
 奥地圭子さんは歩きながら、まだお元気だった教育評論家の金沢嘉市さんに向かって語りかけていた。早稲田大学文学部の前あたりの歩道、どんな集まりの帰り途だったかはまったく覚えていないが、その一生懸命に頼む姿と声だけはよく覚えている。
 
 『婦人民主新聞』(現『ふぇみん』)の記者になりたての私は、その集まりを記事にするために参加し、帰っていく講師(正直、そのときの講師が誰だったのか覚えていない)たちの後ろを歩いていた。当時は一般的に登校拒否と言われていて(今でも、自らの意志で拒否ということばを使う人はいるけれど)、不登校という言い方が新鮮だった。
 

社会病理として

 
 忘れっぽい社会だからあえて書くけれど、30年少し前のその当時、登校拒否は親の育て方の問題であり、その子は病気とされ、"社会病理”であった。家族そろって医者に行き、家族全員が薬を呑まされ、自ら命を絶つ子も親もいた。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

不登校新聞の創刊に至った9月の事件

193号(2006.5.1)

学校基本調査速報に見る、強まる投稿圧力 内田良子

201号 2006/9/1

論説 “心の非暴力”を 森英俊

202号 2006.9.15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

531号 2020/6/1

「子どもに休みグセがついてしまい、学校生活に戻れるか心配」、そんな声に対し...

530号 2020/5/15

緊急事態宣言の発出から1カ月。新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う自粛要請...

529号 2020/5/1

お子さんが「コロナが怖いから外へ出られない」と話すなら「お家にいるから大丈...