2011年9月3日、私と「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」事務局長の野村の2人は、震災後、半年経った気仙沼市にいた。気仙沼市で18年も前から続いた親の会のみなさんに会うためだった。親の会は震災を機に、開かれていなかった。
世話人の加藤ご夫妻が「せっかくならこの機会に親の会を開きたい」と思われ、ある町会の会館の和室をやっと見つけ、連絡がつくかぎりの人に声をかけてくださった。
加藤さんは私たちを駅まで出迎えてくださり、そのまま車で会場まで送ってくださった。車中、かろうじて息を吹き返している店や家も見えたが、街々の痛々しい姿が目についた。建物の中身がそっくりなくなり、ぽっかり穴が開いたような家、家の土台ばかりが突き出ていて地上にあった建物はどこに行ったのだろうというところばかりが拡がっている地域もあった。「ここまでは津波が来たの」という説明を受けながら、テレビで見た風景と重なった。メイン通りは車が通れるようになっていたが、家の前やそばに木材や壊れた家具、生活用品が固まったまま片づけられていないところもあった。この半年、どんなにたいへんだっただろう。
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