――震災から半年。いまだに、どう考えればいいのかわかりません。加藤さんはどう見ていられますか?
僕も基本的には同じです。誰でもあの震災をどう考えていいかがわからないというのが自然な反応なんじゃないでしょうか。
僕は原発・震災が起きて、ある短編小説を思い出しました。ある家族がやってきて村のはずれに住み始めます。でもしばらくするとその家が増築され、またしばらく経つと増築がくり返される。さらに増築が重なり、その間隔が短くなり、村人が不審に思い、噂するようになる。そして、ほどなく、ある日、ドーンという音とともに、屋根を突きやぶって、その家屋のなかから巨大なモンスターが姿を現すんです(笑)。
その引っ越してきた家族は、家のなかで何かを飼っていたんですね。それがモンスターに育ち、日に日に成長を続けた。それを村人の目から覆い隠すため、せっせと家を増築していたんです。アメリカの怪奇小説家であるハワード・ラヴクラフトの『ダンウィッチの怪』という短編小説。
原発事故の時に福島で起こったのは、これと同じようなことだったんじゃないでしょうか。震災と原発事故を機にその後の日本社会の全体に起こっていることも、もう少しスケールを大きくした同じことなんじゃないでしょうか。原発事故で姿を現したモンスターが原子力発電の抱えていた核の問題だったとすると、震災後、日本社会に顕在化してきた問題は、戦後の日本社会が抱えてきた政官財に学界、メディアまで含めた既得権益複合共同体、そして骨がらみになった日米関係の問題で、これが、沖縄問題、最近のTPP問題にまで及んでいます。最初は原発だけなのかと思っていたら、そうではない。日本中から山積されてきた「戦後問題」が噴き出すように姿を現し、私たち自身がこの日本の問題をいっしょに覆い隠していたんだということがわかってきました。
吹き出した戦後問題 いったん『言葉』を失うことも
いずれにせよ今回の震災と原発の事故は、約150年前の明治維新(1867年)と66年前の終戦(1945年)同様に、これらに次ぐ時代のターニングポイントになるのでしょう。明治維新や終戦時のときのように、私たちは「問いの磁場」に立たされているんだと思います。問題が噴出し、さまざまな問いが立ち上がり、なにがなんだかわからない。でも、それが大事。いまの「わからない」を、問いの軸に据えて、ここに立ち止まり、いったん「言葉を失う」ことが必要なんだろうと思います。――震災後「がんばれ日本」などに代表される復興ムードが巻き起きてます。
復興支援は必要なことですが報道の異常な反応には驚かされました。震災時、アメリカに滞在していて3月末に日本に帰ってきたのですが、報道を見てすぐに戦時中の報道を思い出したんです。
戦時中同様に言葉が劣化
終戦直前の新聞は大本営発表のものばかりを載せている。またじつに情緒的です。「我が艦狙う敵機、見事に撃墜」「神兵今ぞ征く」とか、まるでプロレスみたいな記事やガマンを美徳にする感動秘話が多い。戦艦や潜水艦の名前にしても明治初期には「扶桑」とか「加賀」みたいな味のある名前を付いていましたが、終戦近くになると「蒼龍」や「蛟竜」など暴走族のような名前が出てくる(笑)。高揚感に浮き足だって、非常に安易というか言葉が劣化してくる。戦時期にも「鬼畜米英」「贅沢は敵だ」などスローガンが社会に溢れた。その状況が現在にとても似ています。いま行き交う「がんばろう日本」や「立ち上がれ日本」みたいな単純なスローガンは、言葉が劣化しているからで、それを受け取る私たちも、おおいにその劣化に傷ついています。劣化した言葉を受け取ると、言葉を受け取るインターフェイス(接続面)が荒れていく。せめて、その痛みを忘れてはいけないんだろうと思いますね。
――震災によって既存のメディアに対する不信感を強く持ちましたが、メディアに頼らなければならず、ジレンマを感じています。
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