国家というものの欲望の中心はいつも、人びとを自由にせずコントロールしたいという点にあるようです。私たちがおとなしくしたり、つい諦めたりしていると、どこまでも無礼に介入してくるので、まったく油断がなりません。このところの横暴な政治の流れに乗って出てきた「教育再生会議」の思い上がりはひどい。「人を舐めるな」という抵抗の気持ちを強めることが、いま何より大事になっています。
「報告」には、「国民の義務や責任を教え規範意識を高め、奉仕活動を必修化し道徳の時間を確保」などの文字が、すらすらと並んでいます。道徳や規範、義務や責任の中身は、人それぞれの生き方に深くかかわるものなのに、「中身はこちらで決めてあります」と、すましている。義務というなら、「登校の義務と親の責任」ひとつ取っても、どれほどの議論と取り組みが積み重ねられてきたことか。責任というなら、不戦の決意と未来への責任はどうなのか。
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