不登校新聞

212号 2007/2/15

フリースクールでは「遊び」を保障したい

2017年04月20日 15:23 by shiko

越谷らるご理事長・増田良枝さん

――そもそも、越谷らるごを立ち上げたきっかけを教えてください。
 もちろん、娘の不登校がきっかけです。私はこんな人生を送るはずじゃなかったんですから(笑)。
 
 娘が学校に行かなくなったのが、1990年で、すぐに学校と話し合いをしました。でも、その話し合いの場で、とっても納得いかないものを感じました。学校の先生からは、ただ一方的に娘の成育歴や幼児期のころなどの話を聞かれました。私には、「娘さんは、どこか問題がある子なのでは?」というようにしか聞こえない。娘が、いま何に悩んでいるのか、どんな問題にぶち当たっているのか、そうしたことはいっさい聞かれませんでした。帰り際、「なんだか、ちがう」「すごく失礼だ」という思いが沸いてきたんですが、その思いを、まわりの誰もが共感してくれなかったんですね。
 
 その後、遊学舎を知りました。遊学舎は学習塾として、不登校の親や子どもを応援しており、遊学舎を借りて、学校外の子どもの居場所「りんごの木」が1990年6月にスタートしたばかりでした。そこに私も参加して、お母さんたちに「学校って、おかしい」って話をたっくさんしたんです。そしたら、「その感覚、すごくわかるよ」って、共感してくれたんですね。初めてですよ、そんなふうに言ってくれたのは。その経験が私にとって大きいものになりましたし、りんごの木の集まりがとても大事なものになっていきました。りんごの木で話していると、不登校が、学校に行くか、行かないか、という単純な問題ではなく思えてきました。「なんか、この社会っておかしいぞ」という疑問が沸いてきて、問題意識が広がっていったんですね。いろいろな事情で、その後、設立メンバーが離れていきましたが、「こういう場は必要だ」という思いもあり、私が引き受けることになりました。その後、大人の会である「越谷らるご」ができました。

――「りんごの木」の16年間で印象的だったことはなんですか?
 登校拒否を考える全国ネットワークの人たちは、とても刺激的でしたね。本当にたくさん勉強させていただきました。全国ネットがなければ、こんなに継続しようとは思わなかったでしょうね。埼玉の子どもサポートネットの存在も大きかったです。
 
 越谷らるごでの思い出で言えば、いろんな意味で2001年のNPO法人化は大きな動きでした。子どもたちの活動が居場所内で活発になってきたこともあって、私たちは、子どもがもっと自由に過ごせて、自己表現ができる場を保障したいと考えていたんです。それには、これまで週に数日だった「りんごの木」の活動日を週5日にするなど、変えていきたいと思いました。そこで、「りんごの木」をフリースペースからフリースクールに変えること、それから運営主体の越谷らるごをNPO法人化にすることを、1999年から考え始め、2002年にNPO法人として認証されました。
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