誰にとっても必要なものなんて
今回のインタビューは翻訳家・柴田元幸さん。日本で屈指の翻訳家である柴田さんに、不登校について、子ども・若者にとって必要なものとはなにかをうかがった。また6面~7面では絵本作家エドワード・ゴーリーについてうかがったお話を掲載する。
――不登校についてどう思われていますか?
僕は度胸がなかったから不登校をしなかっただけなのかもしれません(笑)。そもそも学校なんて好きじゃなかったし、幼稚園のときは、はっきりと「行きたくない」と言っていたそうです。
不登校をそうやってロマンチックに思い描いている部分もあるし、筋が通らないことにムカつく潔癖な人が不登校に流れがちだという気もする。学校ってかならずしも筋が通る場所じゃないですからね。僕が直接知っている不登校の人は、大学生になってからの不登校です。とにかくみんなまじめで、自分に対する要求が高いような気がする。もっとずぼらでもいいのにな、と思う。
――筋の通らないことにムカつかないんですか?
ムカつかないです。小さいころから、世界は筋が通らない場所だと思っていたから。それと、自分は世界に求められていない、という思いもずっとあった。僕が育った町では勉強ができても全然えらくなくて、ケンカが強くなきゃダメ。友だちどうしでチーム分けをすると、かならず最後まで選ばれない。それがデフォルトでした。
僕が翻訳を始めたのは35歳のころですが、いまだに僕がやっている仕事で誰かが喜んでくれるというのは、すごく新鮮でうれしいことです。世界に対する期待が低いと、幸福を感じるのもわりとかんたんなのかも。
――子ども・若者にとって必要な学びや時間とはどういうものだと思いますか?
一つだけ言えるとすれば、「誰にとっても絶対必要なものなどない」ということです。「若いうちにこれだけは」とか「目的意識を持って」と世間ではよく言ってますけど、ああいうのは聞き流していいと思う。
なにかを成し遂げようと思ったら、どうしてもほかのことは見えなくなる。無理に目的を持つことはありません。もちろん、やりたいことがあったらそれに向かって進んでいけばいいんだけど。「何をしたいのかわからない」という思いは、若いうちは当たり前だと思う。いろんなことに手を出しているうちに、自分はこれが好きなんだな、あれは嫌いなんだなということがだんだんと見えてくると思う。
10代・20代のころは、まったく見えないですよ。たとえば尊敬している人が勧めてくれた本を読むと、その本を自分がいいと思っているのか、尊敬している人が勧めてくれたからいいと思っているのかわからない。でもそれがだんだん、あの人はこれがいいと言うけどやっぱり僕には合わないな、というのが実感として見えてくる。だけどそれは30代とかに入ってからで充分。
――柴田さんはゴーリー作品が好きですか?
もちろん好きです。というか好きなものしか訳しません。
――私は小学生のころ、ゴーリーを読んですごくはまりました。
これはまったくの勘ですが、ゴーリーの作品をすごく好きだと思う人は、世の中が押し付けてくる子ども像にムカついてる人ではないかな、と。そういう気がするんです。
ゴーリーほどではありませんが、僕と仲のいい絵本作家・きたむらさとしさん(1956年生まれ。代表作に『おんちのイゴール』など)は、子どもたちのリアクションをバラバラに描いています。たとえば恐竜を学校に連れてくるというシーンでは、たいていの子どもは驚きますが、全然びっくりしないでぼんやりよそ見している子もいる。僕にはそういうのがすごくリアルに見えるんです。
読者コメント