9月中旬、『づら研(生きづらさからの当事者研究会/NPO法人「フォロ」)』の企画で、オーストラリア・アデレードを訪ねた。そこで、長年に渡る本紙の読者でもあり、社会学者の米山尚子さん(アデレード大学)にインタビューさせていただいた。(山下耕平)

――オーストラリアから日本を見ると、どう見えるのでしょう?
 たとえば、食糧・農業の問題について、オーストラリアにいると、矛盾がよく見えます。オーストラリアは食糧大国で、米、小麦、牛肉などを各国に輸出しています。とりわけアジア市場は大きい。しかし逆に言うと、オーストラリアが輸出すればするほど、アジアの農業地域は圧迫される。そういう構造があります。
 
 日本との関係で言えば、米はその最たるものです。日本は非常に米作りに適している土地ですが、狭いので効率は悪い。でも、その土地にあった農業というのは環境にいいんですね。それがオーストラリアだと、水のないところを灌漑して、何百ヘクタールという鏡みたいな水田で大量生産している。効率よく大量生産するから安くて国際競争力はありますが、もともとが水の少ない土地なので無理がある。灌漑をすると毛細管現象を起こして土地が塩化して、死んでしまう。水のないオーストラリアで稲作をするのは、長期的に見れば自殺行為です。しかし農家の利益に反することは、なかなか言えない。どちらの国にとっても、長期的にみると、とても不合理なことが起きています。

――震災後、日本社会も節目を迎えているように思います。
 福島の原発事故は、日本の経済的発展のひとつの終着点で起きた事故だと言えます。震災の数週間前、日本は中国にGDPで追い越されたところでした。では、日本の経済発展がいつ始まったかと言えば、1950年代半ばで、そこで起きたのが水俣病でした。日本の経済発展の一つの時代は水俣病で始まって福島の原発事故で終わったと言えます。日本社会は、このままでは持続可能とは思えません。そして中国では、それがもっと大規模で、急速に、過激なかたちで起きています。
 

道具としての教育

 
――子どもや若い人の元気がなくなってますよね?
 子どもや若い人が元気のない社会は持続可能な社会ではないですよね。どうして元気がないかというと、教育・雇用制度に問題があると思います。
 
 東アジアの教育というのは、成績面でみると評価が高いんです。しかし、PISA(学習到達度調査)の、生徒の学校への帰属意識調査を見ると、東アジアの生徒は、出席率はすごくいいが、学校への帰属意識はダントツに低いんです。学校に行くと、自分がのけものに感じる、さみしい、学校に行きたくないという生徒が多い。また、TIMSS(国際数学・理科教育調査)でも、東アジアの生徒は点数はいいんですが、「どれくらい数学が好きですか」という質問では、日本は下から2番目、韓国は下から3番目です。出席率はすごくいいが、帰属意識は低い。学力は非常に高いが、勉強が楽しくない。それが東アジアの教育の特徴です。
 
 また、道具としての教育という面も共通してます。教育が将来の経済的成功につながり、それが幸せになるという信仰がある。学校化社会ですね。中国では、公立学校でも深夜まで勉強していて、なかには点滴を打ちながら受験勉強しているところまであります。


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