40年以上前の話だが、来る日も、来る日も、私は、クラス中から攻撃されていました。小躍りしながらはやし立てる男子、ひそひそと内緒話をする女子。
それは、私がテストで満点を取ることに執着していたこともありますが、私がテストでズルをしたと誤解されたことが決定的な要因になりました。「ズルをした」という誤解は、私には耐えられない屈辱でした。私も、必死で訴えましたが、私をいじめて意気投合していたクラス中は、何度説明しても、まったく聞く耳を持ってくれませんでした。
信頼している担任の先生は「ガマンするのよ」とおっしゃいました。それから私は、いっさい弁解することをやめ、徹底的にみなを無視して、卒業までの1年あまりを過ごしました。
ガマンすることは爽快、いじめることは見苦しい、そう思うしか私には道がなかったです。絶対に誰にも言わない苦し過ぎる記憶でした。家族にも、けっして言うわけはなく、それから30年、記憶の海の深い底に沈めていました。
私たちの両親は抑圧的で、私は表面上、けっして、逆らうようなことはしませんでした。私の夫もそうでした。私たち夫婦は、争いごとは避け、穏やかに暮らすには、人に逆らわないことがもっとも大切だと思ったまま過ごしてきました。
そんな私たちと、私たちの両親との、緊張に満ちた空気のなかで、長男、次男は育ちました。
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