一般公開
いじめる子どもが何故いじめるかの背景について、「学校」という言い方は、他の「友人」、「家族」に比べて対象がぼんやりしている気がします。
「学校」の例として問題校則を挙げられていますが、友人、家族に比して、ここだけ「人」ではない。
ですが、問題校則を実現するのは「人」の「意思」です。
学校の中の「人」を対象に見ていくことも大切ではないでしょうか。
具体的には「先生」です。
先生(担任、部活の顧問、教科担任やスクールカウンセラー、校長、教頭、学年主任など)によるいじめを、個別に項目化してアンケートを取る必要があります。
また、先生というのは学校の中での権力者なので、先生による生徒への直接のいじめに加えて、先生が、いじめに関して明確な防止行動を取らないことはいじめの黙認、加担となることに注目し、そのような項目を立てることも必要だと考えます。
中井久夫は「いじめのある世界に生きる君たちへ」の中で、「先生の『そういえば、〇〇にはそんなところがあるよなぁ』という何気ないひとこと、いや、かすかなうなずき、黙って聞きすごすことさえも、加害者には千万の味方を得た思いを、傍観者には傍観の許しを与えます。」(30P)と言います。
しかし、これは先生に直接聞いても決して白状しないので、先生に分からないように子どもに聞く工夫が必要です。
スクールカウンセラーは、私が知る限りでは、あまり子どもたちから信用されていません。
情報のだだもれ、いじめられた子を極端に贔屓し、加害者とされる子を攻撃するなどがよく聞かれます。スクールカウンセラー自体が促成栽培されたため、未熟な人も多いのではないかと思います。
内田良子は「子育てはなぞとき」の中で、「いじめの背後には、未熟な価値判断と体罰という暴力で教室を支配する独裁者に不満を持ったこどもたちの反乱」がある(77P)といい、「いじめの黒子でもあるかのように」(103P)先生による体罰があるのではないかといいます。この体罰には、身体的のみならず、精神的、性的、社会的その他の暴力も含まれるでしょう。
いじめの背景には、大人社会という膨大な黒幕がありますが、先生はその最先端で子どもに大きな影響を及ぼしています。先生の問題をきちんと焦点化しない限り、いじめ対策は的外れなものに終始するのではないでしょうか。
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