不登校新聞 読者コミュニティ

uzura-tamago
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一般公開 PN陽子さんの記事を読んだ時に私と同じだと思いました。
私は、家庭にも家庭以外にも居場所がない時期がありました。

私は不登校の症状を抱えながら10年間学校に通いました。
親にはもちろん訴えました。しかし何もしてくれず、
そのまま症状がすすみ、パニック障害になりました。
パニック障害がひどくて働くこともままならず、家にいました。
両親は私が「病気になったこと」を認めませんでした。
「いつまでも結婚しないで世間の目が気になる。」
「1年で治せ」
「見合い相手には、病気や薬のことを言うな」
特に母は私を見ると、待ってましたとばかりに暴言を吐きました。
摂食障害になったときも、
「飢餓で苦しむ人のところに行けばいい。」
「子どもなんか産むんじゃなかった」
両親は点数主義、学歴主義の人で、
私が病気であること、特に精神科に通うことは、恥とみなされました。
精神的にとことん追い詰められ、死ぬことをも考えました。

結婚を機に親元を去りました。
それでも、母の暴言はおさまらず、
父が死に私がうつ病になったときは、
うつ病になった俳優の名をあげて、
お前も、〇〇のように目つきがおかしい、と言われました。

親元から離れて4年後私はパニック障害の原因は
親にあったことを知りました。

そして、客観的に母を見ることができました。
母も「精神疾患者」だとわかりました。
精神科の敷居は母にとり高く、母は精神科受診をしていません。

父が亡くなり母は私にこういう行動をとるようになりました。
私がそばに寄ろうとすると、寄るなと突っぱね、
私が母の元を去ろうとすると、衣服の裾を引っ張るようなことを
する、この繰り返しでした。

次第に私も母のそばに近寄ると精神がぶれることがわかってきました。
私の精神が不安定になったら、私が築いている家庭が壊れてしまう、
母と別れる決心をしました。しかし、なかなか実行することは
できませんでした。親ですから。

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