不登校新聞

625号 2024/5/1

「親子関係は?元気になったきっかけは?」3人の経験者が語る私の不登校とその後

2024年04月23日 15:58 by kito-shin
2024年04月23日 15:58 by kito-shin

 2024年1月28日、東京都西東京市にて開催されたシンポジウム「経験者が語る 私の不登校とその後」(主催・ひばりが丘公民館/不登校情報ネットワークハートラインにしとうきょう)の講演抄録を掲載する。不登校経験者のさゆりさん、古川寛太さん(ともに23歳)、太田貴也さん(24歳)と本紙スタッフ・茂手木が登壇し、それぞれの不登校経験や来場者からの質問に答えた。

* * *

茂手木りょうが(以下、茂手木)本日の司会を務めます、茂手木です。さっそくですが、それぞれの不登校の経験について聞かせてください。

さゆり 『不登校新聞』でアルバイトをしているさゆりです。私が不登校になったのは、本当の自分を隠すようになったことが影響しています。

 発端になったのは、小学5年生のときに受けたいじめでした。同じクラスの男子数人から、ばい菌扱いをされるような言葉の暴力を受けて、すごく傷つけられたんです。それに加えて、先生が私のつらさを理解してくれませんでした。

 何度か相談したのですが、「この程度のことで逃げていると、この先、生きていけないよ」と、私に問題があるかのように言われました。いじめだけでなく、話を聞いてもらえなかったことが悲しかったですね。それからは、「私の性格に問題があるんだ」と思い、本音を隠して生きるようになったんです。不登校になったのは中学時代なのですが、いじめられたときの経験が、土台になっていると思います。

 また、親子関係でもたびたび悩んできました。私は4人きょうだいの一番上なんです。親は弟たちの世話に手をやいていたのか、私には放任的でした。長女として弟のめんどうをみないといけないことも多くて、今で言うヤングケアラーのようになっていた時期もあります。親にはもっと私の話を聞いてほしかったですね。

古川寛太(以下、寛太) 『不登校新聞』でアルバイトをしている古川寛太です。現在は連載記事「前略、トンネルの底から」も書かせていただいています。

 僕は高校3年間、不登校でした。小学校~中学校まではふつうに行っていて、とくに不満はなかったし、優等生でさえありました。中学では生徒会長をしていて、卒業式では学年代表の答辞も読みました。だけど地元の進学校に入ってから、いっぺんに変わってしまいました。答辞を読んだ数カ月後に不登校ですから、何が起こるかわからないですね。

 今でこそ高校時代をヘラヘラ語れるのですが、当時はどん底でした。高校の3年間はほぼひきこもり状態で、ちゃんとしゃべった大人は、家族と医者くらいしかいません。きついことばかりだったのですが、なかでも父親から言われたことが、最悪の記憶として残っています。ある平日の午前中に、仕事で出かけているはずの父親が、いきなり家に帰ってきました。普段は無口な父親なのですが、急に怒りを爆発させて、僕に怒鳴ったのです。「情けない!」と言われて、殴られました。あれは忘れられません。

 当時は「このままじゃダメだ」と思いながら、ひたすら自分を責めていた時期でした。その上で父の「情けない!」でしたから、あのときは本当にきつかったです。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

「40代で人生2度目のひきこもり」ひきこもり経験者が語るふたたび動き出すまでの出来事と気持ち

624号 2024/4/15

「30歳を目前に焦っていた」就活失敗を機に大学生でひきこもった私が再び動き出すまでに取り組んだこと

623号 2024/4/1

14年の心理士経験を経てわかった「学校へ復帰するよりも大切なこと」

621号 2024/3/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…

622号 2024/3/15

「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都さん。10代に向けた小…