不登校新聞

619号 2024/2/1

「私はずっと孤独でした」不登校の悩みを共有できる味方が見つからず苦しんだ母親に訪れた転機【全文公開】

2024年01月24日 15:07 by motegiryoga
2024年01月24日 15:07 by motegiryoga

 「私が心から求めていたのは自分と同じ不登校の親だった」――。兵庫県在住の足立きみかさんの息子さんは、小学5年生から中学3年生まで不登校でした。足立さんはインスタグラムに筆文字作品を投稿し、息子さんの不登校経験で得たことを発信しています。息子さんが22歳になった今も不登校のことを発信する理由は、当時気持ちを共有できる人に出会えなかった寂しさがあるからだと言います(※写真は足立さんの筆文字作品)。

* * *

――今、息子さんはどのようなようすですか?

 息子は小学校と中学校で不登校を経験したあと、市外の通信制高校へ進学しました。高校卒業後は専門学校へ進み、そこは学習環境に問題があり1年と経たずに退学しましたが、その後、就職に必要な技術を習得するための高等技術専門校へ入り、今は元気に通っています。この春から地元のメーカーに就職することも決まりました。

 不登校だったころ、息子は「死にたい」と言うほど思い詰めていました。しかし通信制高校で信頼できる大人や仲間に出会って安心したのか、自分の世界を広げ、しだいに明るくなっていきました。

 ここまで話して、「つらい時期はすぎたんですね」と思われるかもしれません。実際、息子の不登校から5年以上が経ちました。でも私はまだまだ不登校の日々のことを考えてしまうんですよ。

 今、ライフワークとして筆文字作品をつくっているのですが、息子の不登校でつらかった過去の自分に声をかけるように思いを綴っています。それは私のなかに「寂しさのしこり」があるからです。息子が不登校のあいだ、私は気持ちを共有できる人がおらず、孤独でした。

――息子さんが不登校になった当時のことを教えていただけますか?

 息子の不登校の始まりをさかのぼると、幼稚園のころからだったように思います。入園して1カ月経ったころから行きしぶりが始まりました。本当は歩いて通園できるところなのに、あまりに行くのをイヤがるので、毎朝車に押し込めて連れて行きました。

 幼稚園の裏門へ車をつけると、息子のリュックとごねる息子を抱えて数十メートル先の園舎まで運びました。毎日がそのくり返しだったのに、先生方は誰一人、私たち親子を気にかけてはくれませんでした。その幼稚園は同じ敷地に小学校があり、私と息子が格闘する前を、いつも同じ小学校の先生が横切っていたのですが、その方も「おはようございます」とだけ言ってそそくさと去っていかれて、心細かったです。

 しかしそれでも小学校へ上がったら環境が変わってリセットされるんじゃないかと期待していました。もしまた行きしぶっても、小学校の先生は子どものことを考えてくれるかもしれない、と。でもその期待は入学式の日に打ち砕かれてしまいました。クラス担任が発表されたとき、息子の先生は、幼稚園のときいつも私たち親子を素通りしていた人だったんです。「この人は親身になってはくれないだろう」と落ち込みました。そしてその予想は的中しました。


足立きみかさん

担任の一言に…

 息子は小学校へ上がっても「行きたくない!」と毎朝激しく抵抗しました。担任の先生には期待はできないものの、やはりそうした状況は伝えておこうと話したところ、先生は私にこう言ったんです。「お子さんが学校へ来たがらないのは、お母さんの愛情不足のせいですよ」。

 子どものことをいっしょに考えてくれるどころか突き放されて、こんな先生は信用できない、わが子を預けたくないと強く思いました。でも私のなかには、「子どもを学校へ行かせるのは親の義務」という思いも根強くあり、先生に信用は置けなくても息子を学校へ行かせました。送り届けたあとはいつも、息子が学校に人質にとられているような気分になりました。

――担任の先生のほかに相談できる人はいなかったのでしょうか?

 スクールカウンセラーの方とは早い段階からつながっていましたが、その方と面談しても劇的に何かが変わることはありませんでした。
 初めて理解者に出会えそうなきざしが見えたのは、息子が小学5年生のときでした。息子は4年生まで学校へ行ったり行かなかったりをくり返していましたが、5年生の秋についにぱったりと行けなくなったのです。

 そのころは私も、無理やり行かせることはあきらめていました。息子は私と同じくらいの体格になっていて、羽交い絞めにして車に乗せるなんてできなくなっていたからです。一度、「学校行きたくない!」とめちゃくちゃ暴れて、「これ以上無理強いすると、この子の心が壊れてしまう」と恐怖を感じました。

 何日も連続で休むようになり、学校は「ただ事ではない」と思ったのか、教育委員会へ息子のことを報告したようです。そしたら家に教育支援センターの所長から連絡がありました。「お子さんが学校へ行きづらいんですね。私たちのところへ来ませんか? お母さんもお話ししましょう」と。

 それで息子を連れて教育支援センターへ通うようになりました。私は心を開いて話ができそうな場所だと思いましたし、息子も学校よりは行きやすかったようです。しかし、所長が異動されたことでその「話しやすさ」は消え、通うことはあきらめました。そこには大人の事情も含まれていて、息子にはもうしわけなかったと思っています。

同じ立場で 話せる人が

 同時期、不登校の親の会があるという情報を聞き、行ってみました。今度こそ不登校の話ができる人に出会えるのではないかと望みを持って。いざ行ってみると、「世話役」と呼ばれる私より20歳上の女性が親身に寄り添ってくれました。でも、残念ながら私はそこでも心が晴れませんでした。なぜなら、その会には私と同世代の当事者がいなかったからです。

 私のまわりはスタッフやだいぶ前に子どもが不登校だったというお母さんのみ。心のモヤモヤは聞いてもらえるけど、同じ立場で話せる人がいませんでした。このとき気づきました。私は自分と同じ「不登校の親」を求めていたんです。

――不登校の親どうしでどんなことを話したかったですか?

 ささやかなことです。「毎朝、欠席連絡どうしてる?」とか、「子どもがテレビばかり観ているとイライラしてしまう」とか。子どもに向き合うなかで生まれる疑問や感情を共有して、ひとりじゃないと思いたかったんですね。

 ひとりで悩むのは本当につらい。同じ立場の仲間がいたら、どんなに心強かったか。子どもを信じようとたがいに励まし合っていけたんじゃないかと思います。

 しかし残念ながら、息子が不登校のあいだ、ほかに不登校の子どもを持つ親御さんにはほとんど出会えませんでした。田舎なのでそもそも不登校の数がすくなかったと思いますし、学校が「○○さんも不登校ですよ」と紹介してくれるわけでもない。つながりを得るのは難しかったです。

 支えになる存在がなかった私は、代わりに「物」を心の拠り所にしていました。それは友人からいただいた、書家・御木幽石(みき・ゆうせき)さんの日めくりカレンダーです。

 私が筆文字を始めるきっかけになったものですが、このカレンダーには「やまない雨なんてないんだから あしたはきっと晴れるから」など心温まるメッセージが詰まっていました。毎日カレンダーをめくってその日の言葉を胸に刻み、いつか長いトンネルを抜ける日が来ると信じていました。

 私の「不登校の親とつながりたかった」という気持ちは根深く、今さらではありますが、最近、人を集めて自分のギャラリーで「不登校の親の会」を開催しました。メンバーは、子どもが不登校真っ只中というお母さん2人と、かつて子どもが不登校だったお母さんと私の4人です。

 それぞれ子どものことを話し始めると、「うちもそう!」と共感の嵐で大盛り上がり。私にはもう不登校はすぎたことでしたが、お母さん方と話すなかで自分の心が軽くなるのを感じました。今悩んでいるお母さんたちも、最初は深刻そうな表情だったのが、みるみるうちに笑顔に。やはり不登校の親には親どうしの交流が必要なのだと確信した会でした。


足立さんの筆文字作品

家庭によって ちがうから

 それから、親どうしの交流は子どもへの向き合い方を考える機会でもあると気づきました。というのは、子どものようすをうかがうなかで、「そんなパターンもあるんだ」と驚くこともあり、あたりまえですが家庭によって不登校の状況がちがったんです。

 あらためてそれを認識したとき、学校も社会も、そして親も、一側面だけで子どもを見るのは危険だと思いました。

 とは言うものの、息子が不登校だった当時の私は、視野が狭くて息子の感情が理解できず、息子を追い詰めてしまっていました。今なら理解できますが、当時は寄り添えていなかったと心から反省しています。

 子どものためにも、親はひとりで抱え込まないことが大事です。私が筆文字の活動をしているのも、「ひとりで悩まないで」と伝えたいからでもあります。息子の不登校にひとりで悩み苦しんできた私ですが、息子のおかげで優しい言葉を綴れるようになりました。これからは、息子に感謝しながら、不登校の親の支えになることを考えていきたいと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・本間友美)

【プロフィール】足立きみか(あだち・きみか)
兵庫県出身。3児の母。長男の不登校時に筆文字で言葉がしたためられたカレンダーに心を癒していたことから、自身も筆文字作品を作り始める。現在は「公花の筆文字屋」という屋号で活動。インスタグラムで、子どもの不登校や人間関係などで悩む人に向けて、思いを綴った作品を発信している。インスタグラムアカウント名は「hamu_ka」。

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