2013年9月7日、高知市にて行なわれた「読者オフ会in高知」。本紙編集長の石井志昂が「不登校その後」について講演を行なった。今回はその講演録を抄録。

 みなさん、こんにちは。不登校新聞社の石井志昂と申します。読者の方から「進路」について聞きたいという要望が多かったので、今日はその点について話したいと思います。というのも、私は中学2年生から不登校で、私自身も進路で悩んできたからです。私の場合は、不安なのにもかかわらず、進路の話は避けて通ってきてました。そんな私が取材などを通して進路について整理でき、こんな支援をしてくれればと思っている話をします。
 
 当時、私が進路で悩んでいた点は2つ。「自分が低学歴であること」と「誰もが安定した生活を送りづらくなっている」ということ。つまり「誰もが不安な世の中で中卒、しかも不登校経験者はヤバいんじゃないか」と。そこに追い打ちをかけるように「学力神話」が崩壊したと言われるようになりました(図1)。

 

どれぐらいの学力が必要?

 
 学力神話の崩壊は、ようするに学力の高低が生活安定に直結しなくなったという意味です。生活に必須な学力は、高いものではありません。私も割り算以上の難しい算数はほとんど使っていませんし、生活していくうえで必要な学力は、生活のなかで身に着くものがほとんどだろうと思います。ところが「生活を安定させる学力」となると、グッとレベルが高くなります。せめて高卒ぐらいはと思えば「サイン、コサイン、タンジェント」だって、古文・漢文だって避けて通れません。さらに現在は大学進学や就職後も絶対に安泰だとは誰も言い切れなくなりました。もちろん、学歴信仰・学歴社会はまだ根強く、高学歴の有利さはあります。ただ、ここでの問題は、不登校だと絶対に生きていけないのか、という点です。もちろんそんなことはありません。いろんなデータもありますが、私の友人たちも会社員、公務員、消防士、自営業、家庭人など、いろんな進路をたどっていまも生きています。もちろんいまでもキツイ状況の人もいますが、それは学校に行っている人もいっしょです。私が「安定しているなあ」と思う人は、みな「溜め」を持っていました。この「溜め」という言葉は反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが使い始めた言葉です。
 若輩者の私が言うのは気が引けますが、人生にはいろんなことが起きます。事故、病気、倒産、リストラ、介護、天災、身内の不幸などなど……、トラブルに合わない人などいません。こんなときに身を守ってくれるのが、貯金、収入源、親・友人(人脈)、情報などです。身を守る「なにか」を「溜め」と呼びます(図2参照)。

 



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