不登校新聞

503号 2019/4/1

何度も失敗して見えてきた、ひきこもりの息子に寄り添う方法

2019年04月12日 12:07 by motegiryoga
2019年04月12日 12:07 by motegiryoga



 渡辺明子さん(仮名)の息子さんは、小学2年生から学校へ行きしぶるようになった。その後、教室での息子のようすを見た渡辺さんは、「もう学校に行かせられない」と思ったという。息子さんの強迫性障害や、親の会に参加し考えたことなど、お話をうかがった。

* * *

――息子さんが不登校になったのはいつですか?

 小学2年生です。息子は主人の仕事の都合で4月に転校したんですが、新しい担任の先生と合わなかったんです。すごく怒られていたようでした。

 家庭訪問のとき、先生が着くと息子はビクッとして「僕もいっしょにいなきゃダメ?」と聞いてきたんです。おびえているようでした。

 息子は先生に怒られていて、周囲から「ダメな子」だと思われていたらしく、友だちもあまりできませんでした。

 だんだん朝起きられなくなって、食欲もなくなり、眠れない日が多くなりました。学校も休みがちになり、無理やり連れていったりもしましたが、正月明けにはまったく行かなくなりました。

 当時の私は「学校と話し合う」という発想も持てなかったし、夫からは「お前の育て方が悪いんだ」と怒られるし、もうどうしたらいいのかわからない、パニック状態でした。

教室にいたのはウチの息子?

 3年生になってクラス替えがあり、担任の先生も替わったので、新しい先生に事情を説明して息子といっしょに学校に行ってみました。そして、一日中教室の後ろで息子のようすを見ていたんです。

 そしたら、教室にいる息子は、家とはまるで人が変わってしまっていたんです。イスのうえにひざを抱えるようにしてしゃがんで、ずっと小さく前後に揺れているんです。

 まわりの世界をいっさい遮断していて、先生の話も耳に入っていない。自分の子じゃないみたいでした。そんな息子を目の当たりにして、「このまま学校に通わせたら、この子は本当にダメになってしまう」と思いました。

 当時、マンションの3階に住んでいたのですが、ある日息子が「お母さん、ここから飛び降りたら死んじゃうよね」と言ってきたことがあったんです。

 その記憶が学校にいる息子の姿とつながりました。どんな気持ちで言っていたんだろうと想像して、「もう学校に行くの、やめよう」と息子に告げました。私自身、覚悟が決まったんです。

――それからは家ですごしていたんですね。

 ゲームをしたり本を読んだり、ふつうの2年生が遊ぶときと同じようなことをしてすごしていましたね。最初はドリルを解かせたりもしましたが、半年くらいでやらせるのが面倒になっちゃって、自然と息子もやらなくなりました。

 学校へ行かせようとしていたときの息子はげっそりしていましたが、やめてからはだんだん食欲も出て、笑顔も戻ってきたので、「これでいいかな」という感じでしたね。

 その後、夫の都合で何度か引っ越しと転校をくり返しましたが、中学になっても息子が学校へ行くことはほとんどありませんでした。

つらかったのは強迫性障害

――母親としてつらかったことはなんですか?

 つらかったのは、息子が14歳のころに強迫性障害になったことですね。突然「人間のたてる音がうるさい」と言い出して、布団をかぶったまま出てこなくなったんです。

 ひどいときは、お腹の調子が悪いと言ってトイレに閉じこもって一日中出てこないときもありました。

 延長コードを買ってきてトイレにパソコンを持ち込んで、そこで生活している状態だったんです。私は自分がトイレに行きたいときは近くにあるスーパーを借りていました。

 お風呂から出られなくなった時期もありました。そのころは水道屋さんから「今月10万円くらい水道代かかってますけど、どこか漏れていませんか」と聞かれたりもしました。

 また、息子は夫を受けつけなくなりました。夫が仕事から帰ってくると、どんなに深夜でも外に出てしまい、夫が寝たころにこっそり帰ってきました。

 家のなかで不意に夫と会って、悲鳴を上げたこともありました。息子も夫もおたがいに同じ家にいるのが耐えられなくなって、夫が別居していたこともあります。

 そうしたなか、何が一番つらかったかと言えば、「ふつうの生活」ができなくなってしまったことです。もうどうしたらいいのか、何を頼りに生きればいいのか、まったくわからなくなってしまって……。

 ある日、藁をもすがる思いで『不登校新聞』に電話をかけました。そしたら、スタッフの方から、「フリースクール東京シューレ」で開催されている親の会「親ゼミ」(下記参照)を紹介してもらったんです。

経験者の体験が自分の血肉に

――「親ゼミ」に行かれていかがでしたか?

 同じようなお子さんを持つお母さんたちが、ご自身の経験から「大丈夫だよ」と言ってくださって、ありがたかったです。

 治療目的の開業医師の言葉より、彼女たちが「ウチはこうだったんだよ」と教えてくれることのほうが、自分の血肉になっていった気がします。

 親ゼミに通うようになって、こう考えるようになりました。私もつらいけど、何より息子自身がつらいからこそ、ああいう行動をしてしまうのであって、本人だってやめたくてもやめられない。親がどうこうしてやめられるものでもない。

 それよりも大事なのは、不登校でも強迫性障害でも、いま息子が生きていること。そこにある命に、自分は寄り添っていこう、と。

 そうしたら、私の心も落ち着いていきました。そして不思議なことに、私の心が落ち着くのと並行して息子の症状も落ち着いていったんです。

――「寄り添う」という言葉がありましたが、渡辺さんにとって、息子さんに寄り添うとは。

 命って、寝るところと食べるところと、安定している場所があれば育っていくと思うんです。だから、それを邪魔しないこと。あとは、求められたときに心を向けられるようにすること、ですかね。

 逆に、「たくらむ」というか、学校へ行かせるためにご褒美を考えたり「こういうふうな働きかけをしたらこうなってくれるんじゃないか」と思ってしたことは全部失敗しました。

 強迫性障害の症状が出ていたときも、30分間ずっと手を洗っているのを見て「もうキレイになったから大丈夫じゃない?」と声をかけてしまって。

 そうすると、また最初からやり直しになるから、さらに洗う時間が長くなってしまうんです。洗いすぎて血がにじんでいるのを見て、こっちがつらくなってつい声をかけると、かえってもっとつらい目に合わせてしまう。

 息子の言動だけを見るのではなく、裏にある気持ちを考えなきゃいけないんですよね。

――いま息子さんはどうしていますか?

 32歳で仕事はせずに、家族と暮らしています。一度アニメ制作の学校に通おうとしたこともありましたが、初日に先生にひどくどなられたらしく、通えませんでした。

 20歳くらいのときにかかった病院の先生のおかげで、初めて発達障害があるとわかりました。本人は、自分がいつも学校の先生に怒られていたのは、そういう原因もあったのかと納得したみたいです。

 「いままでずいぶんつらかったでしょう」と先生が長男に言ってくださって、すごく慰められたと話していました。以来、その先生のところにはずっと通っています。

 「働かなくちゃいけない」という意識があったようで、それを考えると不安がつのって、あるとき息子が先生に相談しました。

 すると先生が、「障害年金を受給できるから手続きしよう」と提案してくれて、いま息子は障害年金で暮らしています。

私も息子も長生きしよう

――この先どういうふうにすごしていきたいと思っていますか?

 この前、息子と話していて「お母さんはイヤだろうけど、僕はお母さんが死ぬ前に死にたい」と言われました。「ごはんもつくれないし、掃除も苦手だし」って。だから、こう返しました。

 「じゃあお母さん、一生懸命長生きするからね。80歳でも90歳でも生き続けるから」。そうすれば、息子も長生きしてくれますからね。

 これまで不登校とか強迫性障害とかいろいろあったとき、本人はすごくつらそうで、「こんなにつらいんだったら、私がどんなにがんばっても死んじゃう場合があるかもしれない」と思ったんです。

 そしたら、息子が生きていること自体が、すごく愛おしく感じられてきて……。なんというか、生まれたばかりの息子を抱いたときの感覚がよみがえってきたんです。

 生まれたばかりのわが子に対して、学校に行ってほしいとか、就職してほしいとか、思わないじゃないですか。それ以前に、ただ丸ごと抱きしめたい、という気持ちがあると思うんです。

 私は息子が大きくなってから、もう一度その気持ちを持つことができました。息子に万が一のことあったときに、後悔はしたくない。

 自分が求められることがあれば、出し惜しみしないで息子に与えたい。だから私も、長生きしたいと思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳、編集・吉田真緒)

※「親ゼミ」とは
 毎月第2木曜日、フリースクール「東京シューレ王子」内で開催されている親の会。不登校や自分の生き方などを深く考察することが特徴。

会費 1回1030円(原則4回参加)

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