私は高校が進学校で、そこに入ってから授業についていけなくなり、焦りから緊張や息苦しさ、不眠の症状が出るようになりました。
 
 当時、一つの授業がわからなくなると、すべてわからなくなっていく感じがして、進路が閉ざされると思い、パニックになりました。自分がどうやって生きていくのか、それまで考えたこともなかった私は、とにかく「学校に行くしかない」と思い込んでいて、その気持ちを「学校に行きたい」と、まわりに表現していました。親も教師もそれを信じて支えようとしてくれました。
 

学校じゃなくてもいいじゃないか

 
 日常生活がまともに送れず、精神科にかかりながら、2年生と3年生で留年をくり返しました。出席日数や成績を気にして、もがくような毎日でした。そして高校生活5年目の春、最後の担任となった先生と出会い、創刊されたばかりの『不登校新聞』の存在を教えられました。「学校じゃなくてもいいんじゃないか」と声をかけてくれた先生とのこの日の出会いが、私にとって本当に大きな出来事でした。
 
 学校から離れてもいいという考え方に触れたのはそのときが初めてで、やっと一息つける思いがした一方、「うわついた考え方なんじゃないか」と疑う気持ちも根強くもってたように思います。


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