今回で、『不登校新聞』の「不登校の歴史」は終了しなければならなくなった。創刊より毎号休載なく書いてきて22年半、544回の執筆であった。その間、読者のみなさんにおつきあいいただいたこと、たいへん感謝している。最終回は、不登校の歴史をこの短い字数のなかに無理にまとめるよりも、私と「不登校の歴史」を書いて終筆としたい。
私は4歳のとき、東京大空襲にあい命拾い、父の郷里広島の実家に戻り、被爆者救済や民主主義の教育を求める地域や学校の先生たちの姿に触れつつ育った。中2のとき、『二十四の瞳』の小説と映画に感動、22歳で東京の教員となった。高度経済成長社会のなか、人々の夢は、小中高大と高学歴をとり、待遇のよい会社に就職することとなった。学校は競争や管理の教育が拡がり、ストレス度の高い空間となった。校内暴力、いじめ、登校拒否が増え、自分の子どもの不登校への体験から、学校化した社会のおかしさに気づいた。不登校から深く学び、親の会や東京シューレを開設、44歳だった。仕事や生きがいが学校から学校外へ移ったが、学校であろうと学校外であろうと、子どもの生命の重みは変わらないし、子どもの成長を支えていく活動であることは変わらない。
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