不登校新聞

612号 2023/10/15

若者の10人に1人が発症 起立性調節障害の子どもに母親ができること

2023年11月01日 13:14 by motegiryoga
2023年11月01日 13:14 by motegiryoga

 「起立性調節障害」とは、成長期に発症しやすい身体疾患。若者の10人に1人がかかると言われており、起きたくても起き上がれなかったり、頭痛や不眠などのさまざまな不調が生じます。外見からはわかりづらいため、「怠けているだけ」だと言われ苦しんでいる子もすくなくありません。娘さん2人が起立性調節障害であり、昨年、当事者団体を立ち上げた野澤菊枝さんにお話をうかがいました(※写真は野澤菊枝さん、撮影・矢部朱希子)。

* * *

――まず、起立性調節障害とはどのような病気なのか、教えてください。

 起立性調節障害は、10代の若者たちの10人に1人が発症すると言われている身体疾患です。「朝起きられない病気」だと表現されることが多いのですが、時間帯にかぎらず、「起きたいときに起き上がれない病気」、「寝たいときに眠れない病気」という表現のほうが正確だと思います。

 健康な人であれば、横になった状態から立ち上がったときに自律神経の働きで血管を収縮させて、下半身に下がった血液を心臓や脳に戻すことができます。でも、起立性調節障害の患者さんは自律神経がうまく働かず、血液を心臓や脳に戻すことができません。

 そのため、頭痛、めまい、動悸、吐き気、腹痛など、さまざまな不調が引き起こされてしまうのです。原因はおもに、体の急な発育に自律神経の成長が追いつかないことだと言われていますが、べつのきっかけや遺伝的な要因もあるようです。

 症状が和らぐ時期の目安は、体の成長が落ち着く20歳ごろでしょうか。発症から回復までの状態は100人いれば100通りです。気合いでどうにかできる病気ではなく、「思うように動けず、心と体がバラバラな状態」が続くことは共通しています。

 私たちが子どものころからすでにあった病気ですが、当時は認知度も低く、診断できる医師もすくなかったので、「怠け」や「根性が足りない」などと周囲から言われて、つらい思いをした方も多いと思います。

 見た目だけではわからず、調子がいいときには元気に見えるので、いまだに周囲から理解されずに苦しんでいる方がたくさんいる、というのが現実です。

ある日突然…

――野澤さんの娘さんはお2人とも起立性調節障害なのですね。どのような経緯で診断されたのですか?

 今21歳の長女は、超ポジティブでマイペース。学校が大好きで、中学時代は吹奏楽部でユーフォニアムという楽器に打ち込んでいました。小6のときに微熱や頭痛が数カ月続いたことがあり、ようすを見ていたのですが、今思えばそのときから症状が出ていたのでしょう。頭痛薬が効かずにMRIなどの検査を受けたとき、医師から「立ってみて」と言われたのですが、ぱっと立てなかったんです。そこで初めて、「起立性調節障害」という病名が出ました。急激に悪化したのが中2のお正月明けです。

 もう本当に、ぱったりと動けなくなってしまって。この病気は昼夜逆転しやすいと言われますが、長女は長く眠るタイプで、20時間近く覚醒できない状態でした。そこで、起立性調節障害を診ている医師を紹介されて、「新起立試験」という検査を受けたんです。これは、血液検査、心電図、レントゲンなどでほかの病気が隠れている可能性を1つずつ消去していって、最後に起立性調節障害について調べる検査です。長女の場合は、横になった状態から立ち上がって4分後に血圧が急降下して「上が30、下が13」という見たこともないような数値が出て、意識が混濁してしまいました。

 主治医からは「ふつう、生きている人はここまで下がりませんよ」と。起立性調節障害だと正確に診断されたのはこのときです。

 今15歳で高1の次女は長女と正反対で、物事を考えすぎて疲れてしまうようなタイプ。幼稚園のころから行きしぶりがあり、起き上がれないほどではありませんでしたが、小2からひどい頭痛に悩まされていました。

 それでも、中学では吹奏楽部で長女と同じユーフォニアムの練習に励んでいました。しかし、中2の10月、大きな台風が来たときに、突然動けなくなりました。

 数日間は立ち上がることすらできなくて、トイレにも這って行くような状態でしたね。私たちとしては、長女の経験があったので、起立性調節障害の診断がついたときは「ああ、やっぱりね」という感じでした。

 また夫も、かつて起立性調節障害だったようなんです。長女が発症してから、夫は自分がかつて同じ病気だったと気づいたようです。当時は「だらしがない」と叱られたりして、相当つらい思いをしたようですね。

 子ども時代に同じ病気を経験している親は、わが子の症状と向き合うと同時に、子どものころの自分、誰にもわかってもらえなくてつらかった自分とも向き合うことになるんだな、と夫を見ていて感じました。娘の病気、当時の自分の苦しみ、両方を受けいれられるようになるまでは、葛藤したと思います。


※写真は野澤菊枝さん、撮影・矢部朱希子

――上の娘さんは現在、大学で心理学を学んでいるとのことですが、高校進学時にはさまざまな苦労があったとうかがいました。

 長女は「高校には通いたい! 吹奏楽も続けたい!」ということで、中3の夏まで全日制高校を探していました。ある私立高校に受験相談に行ったときに、「欠席日数が多くて受験資格に満たない」と話したら、「ケガや病気など、正当な理由があれば免除することもあり得ます」と言われたんです。だから、起立性調節障害だと伝えたら、間髪入れずに「それは正当な理由になりませんね」って。びっくりしましたね。

 そんな高校は、こちらから願い下げだと思いました。それまでは、私のなかにも「みんなと同じように」という全日制へのこだわりや、「これから受験もあるのにどうするの?」という不安や焦りなど、いろいろな葛藤があったんです。でも、その一言を聞いた瞬間、つきものが落ちたように感じました。こんなに苦しい思いをしているのに、そこまで出席日数や全日制にこだわる必要なんてないな! って。そういう意味では、よい転機になりました。

 そこから考えを切り替えて高校を選び直し、結局、長女はチャレンジスクールの午後の部に入学しました。1年生のころは絶不調で入院もしたのですが、すこしずつ体調が落ち着いてきたうえ、先生方の理解もあって、5年かけて卒業することができました。気圧の変化で調子が悪くなりやすいので、気圧がわかるアプリをスマホに入れたり、予定を入れた翌日は休むようにしたり、今は病気とうまくつきあっています。

――上の娘さんが診断された直後から、この病気を知ってもらうための活動を始め、昨年は、当事者団体を立ち上げられましたね。

 一番最初に動いたのは、長女が中3になった最初の保護者会です。先生にお願いをして、学年全体の保護者の前でお話しする時間をいただきました。長女の主治医から「この病気で一番大切なのは、1人でも多くの理解者を得ることだ」と言われたこともあり、治療法も特効薬もないなかで、親としてこの子のために何ができるのかと考えたら、これしかないと思ったんです。しかも、起立性調節障害はどの子も発症する可能性のある病気ですから、誰にとっても知っておいて損はありません。そう思うと、みなさんの前で話すことに躊躇はありませんでした。

 お話しさせていただいた後は、たくさんの方から「教えてくれてありがとう」と言ってもらえて、本当にうれしかったです。「メンタルのせいでしょ?」と言う方もいましたが、それでも伝え続けることが大事だと思うんです。種まきみたいなものですね。たくさんまいておけば、すぐに花が咲くものもあれば、10年後に咲くものもある。いずれにせよ、最初の種をまかなければゼロのままですから。

活動をかたちに

 その後は、PTA主催の講演会や、保護者・教職員向け勉強会などでお話しをさせていただきました。そして、もっと活動を充実させていくために、昨年「Kiku‐Ne」を立ち上げました。親として大切なわが子を守るにはどうしたらいいのだろう、と考えるなかで、「わが子だけではなく、みんなを守らなくちゃ」とあらためて思ったからです。この病気の当事者である高校生の監督とその仲間たちがつくった『今日も明日も負け犬。』という映画との出会いにも背中を押されました。脚本担当の小田実里さんと会ってお話ししたとき、「次に彼女に会うまでに、私も何かをかたちにしよう。『いつか』じゃなくて、今すぐ行動を起こさなくちゃ」と思ったんですよね。その思いが「Kiku‐Ne」の立ち上げにつながっています。

 「Kiku‐Ne」の活動としては、この映画の上映会をすでに5回開催しました。そのほとんどの回で、娘たちが受付を務めてくれたんです。そこには、「当事者である自分たちが元気に受付に立つことで、伝えられることがきっとある」という、娘たちなりの強い思いがありました。これからは、当事者や親御さんらの交流会の開催や、教育現場での研修会、当事者の就職をサポートするような活動もできたらと思っています。

 ときどき、「お子さんの病気だけでもたいへんなのに、こんな活動までして……」などと驚かれるのですが、私はたいへんだとは思っていないんです。

 病気になったことで、親子で向き合う時間は増えましたし、子どもたち自身も、あたりまえの生活ができなくなったことで、たくさんのことを学んで成長しました。病気だから不幸だというわけではありませんし、がんばってきた時間は絶対にムダにはなりません。

 逆に言えば、がんばったことがムダにならない社会をつくることが大人の役目だと思うんです。
 私は、子どもたちにとって「宇宙で一番の安全地帯」でいたいなと思っています。あらゆる不調を抱えながらも、毎日を必死にすごしている彼女たちにとって、せめて家のなかくらいは、心から安心してくつろげる場所だといいなと思うんです。何ができてもできなくても、大切な、愛するわが子であることにかわりありませんし、病気は、代わってやりたくても代わってやれない。だから、私にできることは、それくらいだと思うんですよ。

――ありがとうございました。(聞き手・棚澤明子)

Kiku-Ne(きくね)

 起立性調節障害をはじめとする目に見えない病の理解を広げ、当事者、家族、学校、社会、それぞれの橋渡しとなるサポートを行なっています。おもな活動内容は、保護者や教職員向けの勉強会や講演会、交流会の開催など。詳しくは『Kiku-Ne』と検索。

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