不登校新聞

624号 2024/4/15

「今さら本心なんてわからないよ」担任から「お前はどうしたい?」と聞かれた不登校経験者の本音【全文公開】

2024年04月11日 10:51 by motegiryoga
2024年04月11日 10:51 by motegiryoga

 

 「学校へ行け、行かないなら転校しろ」「お前はいったいどうしたいんだ?」と父親や高校の担任から詰め寄られた古川さんは「今さら本心なんて怖くて取り扱えない」と反発したと言います。背景には小学生時代のある経験が大きく影響していました(写真は古川寛太さん)。(連載「前略、トンネルの底から」第6回)

* * *

 ゲームを持っていないことを引け目に感じる小学校2年生の俺と、同級生の友だち。遊びの約束に対する気づかいを言いだしたのはどちらからだっただろうか。提案の苦手な俺のことだ、きっと彼らに言わせたのだろう。そんな空気を出しているのはこちらにもかかわらず。結局、彼らと遊ぶ機会は徐々に減っていったどころか、俺は誰とも遊ばなくなった。

 休み時間や放課後になると図書室に逃げ込んで、誰とも関わらずに本を読むようになった。読書は楽しかったが、どこかで「ゲームを持っていない、こんな自分でもいいのだ」と言い聞かせるような声が頭に響いていた。3年生のクラス替えによって彼らとわかりやすく距離が開くことになるすこし前の冬、俺は没頭する趣味を得る代わりに、誰かと体験や感情を共有することから、逃げた。

 流行り言葉のようであまり好きではないが、こういうものを「原体験」と呼ぶらしい。何も持っていない後ろめたさから自分の世界観に人を巻き込むことを避ける、または巻き込んだことで人に理解されなかったり気を使われることを極端に恐れる、こちらから意志を示せない。こういった傾向は、結局その後も続いた。もちろん個人の特性や気質の影響もあるとはいえ、これらの体験は俺の足を大いに引っ張り、その度に悲鳴をあげる。

今さら本心なんて…

 とくに不登校と掛け合わさった高校時代はつらい。数々の行き場のない嘆きが、自身に投げかけられた言葉とともに思い返される。学年主任は集会で言った。「この学校は自由です。あなた方は何をしたっていい」。父は俺の部屋に入るなり言った。「学校へ行け。行かないなら、ほかの学校に移れ。選択しろ」。担任は教務室で言った。「おまえは一体どうしたいんだ」。知るかよ。そんな主体性、あの日ゲーム機へのあこがれといっしょに捨ててきた。今さら自分の本心なんて怖くて取り扱えないよ。  「こうしたい」と言うには、かけ算もできなかった当時に戻るしかない。戻って、親にも友だちにも「自分はこうしたい」と伝えるしかない。でも、できなかった。だから、できなかった。相手どころか自分にさえ意志が示せないまま、部屋でひとり泣いていることしかできなかった。どこを向いてもまっくらな孤独にしかつながらなかった。

 俺の絶望はたぶんこんなかたちをしている。小学生でつくりあげられた「それ」は不登校への萌芽となり、その経験によって元に戻せないほど深度を上げてしまった。そんな絶望との向き合い方はあるタイミングで大きく変化していくのだが、それはまた別のお話。

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