学校復帰に苦しむ子たち
福島の地で開催された「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」が幕を閉じた。その夜、東京・品川区に住む16歳の女子が自宅を放火する事件を起こしたことを報道で知った。
今年の4月、不登校をなおすため、彼女は静岡県にある寄宿型『フリースクール』に入学させられた。その後、夏休みでいったん東京の自宅に帰宅していたが、8月22日にこのフリースクールに戻ることが決まっていたため、母親が車で送ることになっていた。前夜、家に帰らず朝帰りし、朝食も拒否したため、強く父親が叱責した。その直後、彼女は段ボールに火をつけたという。父親は重傷のやけど、母親は喉に軽傷を負った。警察の調べで本人が「家族は死んでもよかった。フリースクールに戻されるのがイヤだった」と語ったこともあり、殺人未遂、建造物放火の疑いで逮捕された。
すぐに思い出したのは、本紙を98年に創刊するきっかけになった9月始めの体育館放火事件である。「学校が燃えてしまえば、行かなくてすむから」と、逮捕された3人の中学生が語った。そんなに学校がイヤなら子どもには休む権利もあり、学校ではない別のかたちの成長もあるのに、2学期に入り登校しなければならぬプレッシャーが彼らを追い詰めた不幸な出来事であった。
今回も、そんなにいやがっているフリースクールに戻させるべきではなかった。子どもの気持ちが無視され、戻らねばならないプレッシャーに追い詰められていたところへ、叱責が重なったことが引き金になったと思われる。親のあり方が大きな問題だが、そもそもフリースクールが行かねばならぬ所となるなら、それはフリースクールとは言えない。しかも、このフリースクールは、生活ぐるみで預かるところなので、イヤな子にとってはたいへんな苦しさである。このフリースクールは、学校に戻すことをめざし、朝起こしから始まり、集団生活に適応させる療法をとっており、体育館放火事件と似た構造をもっている事件といえる。
毎年8月、文科省の学校基本調査速報が出される。学校基本調査についての今年の報道の特徴は、どの新聞も、トップや大見出しで取り上げたのが、大学就職率が大幅ダウンしたことで、前年度を7・6ポイント下げ60・8%になったことだ。前年度からの下げ幅は過去最大で、高卒、中卒の就職率も過去最低の数字となり、学歴インフレと雇用状況の厳しさが浮き彫りになった。
しかし、それに比べて、不登校関係の報道は少なく、もはや関心の焦点ではなくなってきている感じを受けた。大さわぎされるのもおかしいが、子どもは苦しい状況であるにもかかわらず、不登校はこう対応すればいい、とわかったかのような固定化がすすんでいることにも警鐘をならしたい。文科省によれば、09年度の小中学生の不登校の児童数は、前年度より3・4%減の12万2432人だった。2年連続で微減となったが、98年からずっと12万人を越える高位の状態が続いている。もはや年々の増減を問題にするよりも、学校に行っていない多くの子どもがいる時代に、どんな教育政策をすすめていくかが重要である。
あいかわらず、国は学校復帰を前提とする政策を改めてはいない。親や社会の意識も、学校へ行って当然というもので、子どものつらい気持ちの側に立とうとしない。今回の事件も2学期を前にした登校圧力を背景に生じているともいえ、本紙9月1日号前後はいつも何かなければいいが、と祈るような気持ちだ。8月17日の大阪小3の子の自殺も、いじめを受けた学校がまもなく始まることと関係したのではないだろうか。
いつまでも学校が絶対化され、不登校が否定視される社会をどうしたら変えられるか。「不登校の子どもの権利宣言」をしっかり広げ、権利拡充をはかるとともに、学校のみではない多様な成長の在り方が選択でき、社会的に保障される仕組みをつくっていくことを今こそ急がねばならない。子どもの問題ではなく大人の問題と自覚したい。(本紙代表理事)
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