不登校新聞

538号 2020/9/15

「親ってほんとに子どもが心配なの」加藤登紀子が語る子離れの瞬間

2020年09月15日 18:12 by kito-shin

 歌手・加藤登紀子さんは今年で歌手生活55周年を迎えた。戦後から現代へ、歌い手として生き抜いてきた加藤さんに、生きにくさや自由について、また、子育てについてお話をうかがった。

* * *

――私をふくめて多くの人にとって、現代は生きにくい社会になっていると感じます。加藤さんはどう思われますか。

 こんなことを言ったらひんしゅくを買っちゃうかもしれないけれど、あえて聞きますね。どうして生きにくいの?

 昔と比べると、たくさんの物が手に入るようになって、生き方の選択肢が格段に増えたはずですよね。生きにくいって言うけど、「どうしてなの? 誰が生きにくくしてるの?」って、聞きたくなっちゃうんですよね。

 でも、この国の戦後の歴史を考えると、今の人が「生きにくい」と感じるのもわかる気がします。日本は経済的に成長し、豊かな国になりました。しかしそれにともなって、閉塞感が出てきたんだと思います。

 うちの一家は終戦をハルビン(旧満州。現中国東北部)でむかえて、命からがら引き揚げてきました。そのため、私には「こう生きなければならない」というモデルがありませんでした。財産を受けつぐとか、代々続いてきた家を守るとか、そういった縛りがなかったのです。

 日本という国はまだ未成熟で、社会的な決まりごともできていませんでした。家にはだいたい一人は居候がいたり、失業者が転がり込んできたり。

 わけのわからないことがたくさんありましたけど、それがあたりまえだったんです。どこの家も貧しい暮らしをしていましたが、不思議と、暗くはありませんでした。

 以前、南アフリカに行ったことがあります。巨大な黒人居住区があり、見渡すかぎりの丘に家々が広がっていました。そこではたくさんの子どもたちが走りまわり、大きな声で空に向かって歌っていたんです。

 一方、白人たちの居住区には、大きな家が立ちならんでいましたが、どこも高い壁で囲まれていました。なかに住む子どもたちは、自由に外出することができないようでした。

広がった閉塞感

 日本が貧しい時代から経済成長していくにつれて、いわば南アフリカの黒人居住区のような環境から、白人居住区のような環境に生活が変わっていったんだと思います。

 私はマンションで子育てをしてきましたが、隣にどんな人が住んでいて、何をやっているのかもわかりませんでした。機能的にはすべてが整備されているようなマンションでも、庭に出て走りまわることはできない。すごく閉塞感があって、不安でしたね。

 豊かな国になっても、生きやすくなるとはかぎりません。今の社会は、生き方の選択肢が広がっているはずなのに、「親はこうあるべき」とか、「子どもにはこれをさせるべき」とか、たくさんの決まりごとも増えました。

 だけど、どうあるべきかを気にしすぎて、決まりごとの内側にはまりこんでしまうと、自分から生き方を狭めてしまいます。それはもったいないですよ。

 自分を縛りつける壁をとりはらって自由になるために、ときには「自分はどうして生きにくいのか」を、じっくり考え抜いてみる時間が必要なのだと思います。

――加藤さんは、これまでとても自由に生きてこられたように思えます。加藤さんにとって、自由とはどのようなものですか。

 「自由」って、未知のなかへ飛び込んでいくことなのよ。

 ある気球乗りの人がね、「自由とは、自分の思うようにはいかないこと」だと言っていました。熱気球は風まかせで、自在に操作できるものではありません。風の動きを読んで、自分の行きたい方向にたどり着こうとするけれど、思いどおりにはいかない。

 どうなるかわからない風に身をまかせて、風と一体化することが気球乗りにとっての「自由」なんです。

 私は陶芸が大好きなのですが、焼き物をするときも、できあがりが予測できません。薪の釜で焼き上げると、どんなふうに火が飛んで、どんな色がつくのか、わからないんです。

 だけど、自分ではどうにもならないものに身をゆだねることが、すごくおもしろい。どうなるかわからないところに、自由があるんです。

 「どう生きるべきか」の正解が全部わかっていたら、人間にとって、不自由そのものではありませんか。「一寸先は闇」という言葉は、悪い意味で使われていますよね。

 だけど本当は、「一寸先は闇」だからこそ、人は自由になれる可能性を持っているのだと思います。

――大人が若い人によく言う「未来は明るい」というメッセージとは、正反対ですね。

 2006年のフジロックフェスティバルに私が出演したときに、客席の若い人たちに聞いたことがあるんですよ。「みんな、未来をどう思ってるの?」と。

 客席がシーンとしていたから、私は言いました。「未来はね……真っ暗よ」って。

 そしたら、ワーッと盛り上がってね(笑)。お客さんは、私が「未来は明るい、希望を持とう」なんて言うと思ったのかもしれませんね。

 はっきり言って未来は暗いですよ。解決のつかない問題だらけだものね。でもそれは、必ずしもマイナスだけじゃないんです。わけのわからない明かりがあたりを照らしていたら、あなたの放つ光に誰も気づかないでしょう。

 だけど、未来が暗ければ、あなたの放つ光がずっと遠くまで照らして、あなたの存在にみんなが気づいてくれるでしょう?「お先、真っ暗」だからこそ、人は輝けるんですよ。


私に決心させた次女の言葉

――加藤さんには3人のお子さんと7人のお孫さんがいるとうかがいました。子育ての大先輩として、不登校の子どもを持つ親御さんにアドバイスはありますか。

 子育てに正解はないですから、アドバイスといっても難しいですね。基本的には子どもたちに「自分で考えて決めなさい」と言い続けてきました。

 でも本当は目の前にいる子どもが、心配でならないんです、親ってものは。 転んだらすぐさま駆け寄りたいし、少しでも怪しいやつが近づいたら払いのけたい。

 子どもが出かけたら、「後をついてずっと歩いていたい」と思うくらいでした。そんな気持ちを必死で抑えるの。子どもは自分じゃないんだから、あきらめなきゃね。

 だけど、中学生だった次女の八恵に「子どもだってちゃんとわかっている。そんなに心配なもんじゃないよ」と言われたの。

 そのときの会話は、はっきりと覚えてるわね。私は「わかった。それなら、あなたを全面的に信じることにする」と答えました。親としての一大決心です。

 あとはいろんなことをいっしょに体験することですね。あっちこっち、旅に行きましたよ、子どもたちと。

 いつもとちがう環境のなかにいても堂々としていられるように、困ったことがあってもなんとか自分で考えて、いちばんよい答えを見つけて、楽しんでいく。それが人生にとっていちばん大切なことだと思うので。

 親だからとか子どもだからとか考えないで、率直にそのときそのときの自分を見せ合えばいいと思って、私は自分の感じたままに自分を出してました。

 迷っているときは迷っている自分を出し、それでも一転して「大丈夫よ」って叫んでたりする。そういう母親でした。

 子どもはそんな私を横目で見ながら「自分の人生は自分で切り開くしかない」と思ったのでしょうか。いつのまにか、子どもは子どもなりに、自分の生き方をつくっていってくれたようです。

 今は新型コロナウイルスのこともあり、悩みを一人で背負い込みやすくなっています。だけどがんばりすぎずに、リラックスできたらいいですね。

 緊張しっぱなしだと、親と子の関係も、夫婦関係もうまくいきません。肩の力を抜いて、おたがいに、この時代を乗り越えていきましょう。

――ありがとうございました。(聞き手・酒井伸哉、撮影・矢部朱希子)

【プロフィール】
(かとう・ときこ)1943年ハルビン生まれ。東京大学在学中に歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」、「知床旅情」、「百万本のバラ」、「時には昔の話を」など多くのヒット曲を世に送り出す。現在、子3人、孫7人。年末恒例の「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」を今年も全国で開催する。問い合わせ:トキコプランニング(03-3352-3875)。

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