不登校新聞

538号 2020/9/15

不登校経験者4名が綴る。「私はこの言葉に救われ、支えられた」

2020年09月15日 12:17 by kito-shin

 ツラいときや苦しいとき、まわりの人から言われた言葉で不思議と心が軽くなることがある。今回は不登校経験者4名に、自分が救われ、支えられた言葉について執筆いただいた。

* * *

不登校の私も

 私は中学2年生で不登校になったのですが、中学3年生のころから、ある劇場が定期的に開催していた演劇ワークショップに参加していました。

 いろんなものになりきれるワークショップに参加することで、私は少しずつ自信を取り戻すことができました。そして、徐々に学校へ行くようになりました。

 ある日、ワークショップのおかげで学校へ行けたことを、私は劇場のスタッフさんに伝えました。

 すると、もともと私が不登校だったことを知っていたスタッフさんは「学校へ行けたあなたも、もちろん大好きだけど、学校へ行けなかったあなたも変わらずに大好き」と言ってくれました。

 このスタッフさんの言葉に私は救われました。それは、「学校へ行けない自分に価値はない」と当時の私は感じていたからです。

 しかし、「学校へ行けた私も、行けない私も、変わらずに好きでいてくれる人がいるのだ」と、スタッフさんの言葉で初めて実感することができました。

 「学校へ行けなかった私」も認めてくれた言葉のおかげで、私はここまで生きてこられたし、これからも生きていけるのだと思います。(矢陽有莉(やぴ ゆうり) 16歳)

いい加減に生きてみる

 中学3年生のころ、私は友人関係でつまずき、人との距離の取り方が、わからなくなったことがありました。

 いくら考えても、どうしたらいいのか自分では答えが見つけられなかったので、当時お世話になっていた相談室の先生に相談をしました。すると、先生は「いい加減に生きようよ」という言葉をかけてくれました。

 先生の言葉を聞いて「今まで物事や人に対して私は真正面から向き合いすぎていた。でも、それってすごく疲れちゃう。もっと適度に力を抜いても生きてもいいんだ」と私は思うようになりました。

 先生からの言葉は一歩引いて物事を考えるきっかけになり、今生きてくうえでの私のモットーにもなっています。(あかり 27歳)

信頼できた先生からの一言

 高校3年生のとき、学校へ行くことに対しても、大学受験に対しても、私は自暴自棄になっていました。

 「私がまわりの人の心の奥底がわからないように、私の抱えている葛藤なんて誰にもわからない。だから気安く『気持ちわかるよ』なんて言われたくない」と、ずっと思っていました。

 そんなとき、「きみの不安はきみにしか、わからないかもしれない。でも、ひとりで抱えすぎず、俺でよければいくらでも吐き出せよ」と担任の先生に声をかけてもらいました。

 今まで言われてきた「わかるよ」という言葉とは正反対の「きみの不安はわからないかもしれない」という率直な先生の言葉に「この先生なら信頼できるかも」と私は直感的に感じました。

 また「ひとりで抱えすぎるな」という言葉も、ひとりで考えすぎて心が沈んでしまっていた私にとっては、涙が出るほど安心できる言葉でした。(ゆう 20代)

「おはよう」がうれしかった

 僕は不登校になっても変わらずに付き合いを続けてくれた友人の存在に支えられました。

 中学1年生で僕が不登校になると、たまに学校へ行って廊下ですれちがっても、ほとんどのクラスメイトは横目で見るだけで、あいさつもしてくれなくなりました。

 でも、ある友人だけは廊下で会うたびに笑顔で「おはよう」と僕に声をかけ続けてくれました。

 不登校をする前と同じように接してくれたことが、うれしく、支えになりました。その友人とは不登校から20年経った今も友だちです。(町田和弥 30代)

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