「不登校の歴史」を書く本欄の執筆も、あと1回で終筆を迫られ、書きたいことが山ほどあるなか、やはり、日本の不登校の歴史に影響を与えた「東京シューレ」との関係は落とせない、と考え、取り上げておきたい。
文科省が、いわゆる長欠児でなく「登校拒否」「不登校」の数を学校基本調査として公表し始めたのは、1966年である。小中学生不登校数は70年代なかばより増加し始め、80年代90年代は激増。2000年代は高い横ばい状態を示し、現在も小中学生のみで1年に2万人の勢いで増えている。
高学歴化する社会構造のなか、教育と言えば学校教育、学校へ行かない、行けない子どもについてまったく理解されず、誤解・偏見・差別が続いた70年代80年代の悲惨は、本欄で一部紹介したが言葉にならない状況があった。「治す」「直す」対象とされ、無用な閉鎖病棟入院や施設入所で生命まで落とした例は珍しくなかった。国や学校の対応は、問題行動児扱いであり、学校復帰させようと強引だった。家庭も学校化しており、追いつめられ苦しい状況の子が多く、自責感、孤独感でいっぱいだった。
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