不登校新聞

558号 2021/7/15

こぼれた「明日、学校へ行きたくない」の言葉。14歳の心の底とは

2021年07月30日 11:11 by shiko
2021年07月30日 11:11 by shiko

 「明日、学校へ行きたくない」とこぼす子どもの心境はどんなものか。コロナの影響で揺らぐ学校に通っていた女子中学生のあやかさん(14歳)が、この1年で起きたことを率直に語ってくれました(冒頭の写真はイメージ写真です)。

*  *  *

 ――いつから学校と距離を置くようになったのでしょうか?

 中学2年生、つまり昨年の10月下旬からです。でも、小学校高学年あたりから学校に抵抗があって、イヤだとは思っていたんです。「朝、起きるのがちょっとめんどくさいなぁ」とか、「宿題やらなきゃいけないのかぁ」とか。でも、みんな自分と同じくらい学校がイヤなのかなと思っていましたし、抵抗があるのはふつうだと思っていました。宿題をがんばった先にはテストがある、よい点を取らなきゃいけないって考えてもいましたね。

 私の両親は厳しいところがある人で、それがプレッシャーになっていたのだと思います。テストの結果を見せると、「学校でもうすこしまじめにしていれば」、「テレビを観たり、友だちと遊んだりしていなければもっとよい点が取れたんじゃない」、と言われることがありました。

 私は保育園のころから絵を描くのが好きで、今でもイラストを描いているんですが、「そんなことをしていないで、勉強したらよかったんじゃない」と言われたりもしていましたね。そう言われてしまうと、成績はどこまで求められているんだろうとか、もっとテストの点は高くしなきゃ、と自分で自分を責めてしまう。そんなことが積み重なっていました。

――コロナで一斉休校になってからは、どんな授業を受けていましたか?

 昨年3月にコロナで一斉休校が始まった際に、春休みごろから6月ごろまでの宿題が一気に出されて、オンライン授業も始まりました。ただし、宿題を見てみると、本当に大事なところや基礎的なことしかテキストには書かれておらず、自主学習で補うことが前提になっていたんです。だから、わからないところは教科書を読むなりして、自分で調べて理解しなければいけませんでした。

頼りたいけど誰にも頼れず

 塾へ行っていたので、わからないところを塾で聞いたりもしていたんですけど、私にとっては塾で聞くことはプレッシャーでした。塾の先生は親切な先生ですが、もともと誰かに聞くのが私は得意じゃないんです。だから、自分で勉強しなければいけないのに、積極的に質問もできない。これで点数が落ちたらどうしようって、ちょっとつらかったですね。

――そのほか気になったことはありましたか?

 6月に休校が明けたときには、前よりもまわりを気にするようになっていました。休校中に中学2年になっていて、クラス替えもあったんですよ。部活で仲よくしている友だちも同じクラスではなかったし、友だちをつくるのに一生懸命というか、クラスの人たちとなじめるか、まわりにどう見られているのか気にしすぎてしまって、息苦しかったです。この人にはどれくらいのテンションで合わせたらいいのか、発言ひとつとっても、めちゃくちゃ考えながら話していました。すごくたいへんでしたね。

――学校と距離を取り始めたきっかけは何かあったんでしょうか。

 中学2年の10月下旬、ちょうど中間テストが終わったころでした。テストの結果が出ていたんですけど、点数がすごく悪かったから親に見せるのが怖くて……、いつか見せないといけないと思いながらすごしていました。

テストの点数 結果にショック

 それまで成績は、学年でまんなかよりちょっと上をキープしていたんですが、ずっとモヤモヤしているうちに、どんどん成績が落ちちゃっていたんです。モヤモヤした気持ちを抱えたままテストを受けたので、テスト内容も頭に入りませんでした。中間テストでは、これまでで一番悪かったんじゃないかと思います。自信があった科目でさえ、そこまでよくなかったですし、ショックでした。

 テストの点数を親に見せるのは、それまでも毎回怖かったんですよね。そのときは点数も悪かったし、すごくしんどくなっちゃって。それで夜、お母さんに無意識に「明日、学校へ行きたくない」って言ったんです。それがきっかけで、学校と距離を取っちゃいました。小学生が駄々をこねる感じで言ったんですよね。お母さんには「なんで行きたくないの」と聞かれて、「なんか、めんどくさい」みたいに答えました。

 だけど、だんだん今までの積み重なってきた気持ちがあふれてきて、気づいたら泣いていました。自分でも知らないうちに学校へ行く気がなくなっていたみたいです。途中からは、お父さんも帰ってきて深夜まで話しました。
 今まで自分の意見をあまり人に伝えたことがありませんでした。まわりに合わせたり、相手の意見を尊重したりすることが多かったので、自分の気持ちを言って怒られないか、すごく不安でした。

 でも、2人ともずっと話を聞いてくれていました。お母さんは「明日は学校へ行ってみて、ダメだったら帰ってきてもいいけど、あとは好きにしなさい」って言ってくれました。お父さんは、私のことを心配してくれているのもあって「将来、困るのはあやかで、いじめられているわけでもないんだったら行きなさい」って言ったんです。両親の意見が割れてしまったので、次の日からすぐに休むことはできませんでした。

自分の気持ち、諦めざるをえず

 それに、学校には「がんばってがんばって、本当にダメになったときでないと早退してはいけない」というルールがあるんです。しばらくのあいだは、それまでどおり学校へ行って帰ってくるという、前と変わらない毎日がずっと続きました。

 だから自分の意見を言っても何も変わらないんだな、と思いましたね。たとえ、もう一回言ったとしても、同じ結果になるんだったら、学校もあと1年半くらいだし、中学校生活もがんばろうかなって思ったりもしました。

――がんばったし、本当につらかったですね。でも、やっぱりどこかで限界が来ますよね。

 そうですね。じつは翌日に「無理だったら、帰ってきていいからね」と、お母さんが言ってくれたから、早退したんです。次の日は、学校を休んでお母さんが山に連れて行ってくれました。

 でも気分転換のため、つまり次の日にがんばるためのお休みだったんですね。コロナで外出自粛もあって、気持ちやモチベーションも下がって学校がイヤになっているんじゃないかって、お母さんは思ったみたいです。

 私もそうかもしれないと考えて、気分転換にでかけた翌日は学校へ行きました。そうやって「気分転換に休んで、次の日は学校へ行く」をくり返してみたんです。当時は、学校には行かなくちゃいけないと思っていたから、「気分転換だからと言って学校を休んで山に登っていていいのかな」って罪悪感もありました。でも、もし気分転換ができたら、学校へ行きたくない気持ちがすこしはよくなるかもと期待してもいました。

試行錯誤の末 週2日の登校に

 結局、気分転換をしても、うまくいきませんでした。どうしても無理で、学校から帰ってきていましたね。それで「学校と一度、距離を置くのもいいんじゃない」とお母さんが言ってくれて、休み始めることにしたんです。学校と距離を置くようになってからは、週に2回くらいのペースで行っていました。ただ、お父さんは私に学校へ行ってほしかったので、始めのころはお父さんに内緒で休んでいました。お母さんといっしょに家を出て、お母さんの会社へ行って、仕事を手伝ったりしていたんです。

 ちなみに4歳下の弟にも、内緒にしています。というのも、弟と私の休む基準や、気持ちはちがうと思うんです。だからもし、私が学校と距離を取っていることを伝えたら、弟も「僕も学校へ行きたくないから休む」となってしまったらいけないな、と。なので今でも言えないままです。

――両親に「学校へ行きたくない」って言ってよかったですか?

 後悔はしていません。ただ、勉強面と将来について考えるのであれば、言わないほうがよかったのかなとも思います。あのとき、自分の気持ちを押し殺して学校へ行っていたら成績は落ちていたとしても、すくなくとも今よりは勉強できていたと思うから。まだ義務教育だし、勉強はしなくてはいけないことだし、高校受験もありますし。勉強しないと将来困るのは自分なのに、なんで行きたくないって言っちゃったんだろうって、自分のことを責めたこともあります。

 ただ、そんなふうに思いながらも、もし学校と距離を置く体験をしてなかったら、大人になったときにもっとつらくなっているんじゃないかなって。だから、どちらが正解だったのか、正直よくわからないんです。

 先月くらいから、以前のような不安感は少なくなりました。理由はわかりません。あと1年も経たないうちに高校受験なんですけど、受験もどうにかなるんじゃないかなと思ったりもしています。結局は、そのときにならないとわからないし、今、自分のできることをすればいいかなと思うようになったんです。勉強以外でも、好きなイラストを描くだけじゃなくて、お母さんの仕事の手伝いもしたいし、部活で後輩ができたので後輩に教えてあげたいとも思っています。新しいことをしてみたいなと思うんです。

 今は、部活の時間だけ学校へ行っています。気分に余裕がある日は朝から行ったりもしていますが、ダメだったら早退しています。やっぱり勉強はしなくちゃいけないし、このままだと将来どうしようという心配もあります。だから気持ちにすこしでも余裕があるなら、学校へ行ったほうがいいと思うので悩みながらですが、ちょっとずつ行くようにしています。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂、編集・赤沼美里)

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