『不登校新聞』の創刊25周年記念号の特集として、本紙の編集に15年以上携わってきた編集者による対談を行ないました。不登校の専門紙をつくり続ける理由や『不登校新聞』のこれから、また不登校の現状と今後について話し合いました(※写真は(左)小熊広宣、(右)茂手木涼岳)。
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小熊 『不登校新聞』の創刊から25年、おたがい15年以上編集にたずさわってきました。とくに記憶に残っている取材や記事などありますか?
茂手木 2つあって、1つめは脚本家・虚淵玄さん(321号/2011年)の取材です。『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメの脚本を担当された方で、子ども若者編集部のメンバー数人と取材させていただきました。その際、あるメンバーが「私の友だちが自殺しました。バカやろう、という思いがぬぐえない」という話をしたんです。静かに聞いていた虚淵玄さんは「君の気持ちはわかる。けど、死んだ友だちの死ぬほどつらかった苦しみを感じ、そこにリスペクトを持つべきだ」という話をしてくれて。それが私にとって衝撃的だったんですよね。「取材をするなかで宝物になるような言葉に出会うことがある」と私はよく言うのですが、まさにそれを実感した瞬間でしたし、その後も取材を続けるうえでの原体験になっています。
2つめは、「シチズンオブザイヤー」を受賞したときですね。授賞式で審査員長が私の編集した記事をピックアップしてくれて「これは新聞記事ではなく、文学だ」と評価してくれたんです。中学生の娘が自室のベランダから飛び降りていないかどうか心配で、帰宅するたび、マンションの敷地内を見てから帰るというエピソードを語ってくださった母親のインタビュー記事(490号/2018年)でした。私自身、とくに心をこめて編集した箇所だったので「伝わったんだな」と。編集者としてこれからも続けていけると思いました。小熊さんは?
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