
広がる予防的なまなざし
今回から2回にわたり、中島浩籌さんインタビューを掲載する。中島さんは長年、社会臨床学会の活動などを通じて、カウンセリングを批判的に分析している。
――カウンセリングも、いろいろ変遷してきているそうですね。
僕も高校教員になったとき、興味をもってカウンセリングの訓練を受けたことがあるんですが、そのころはカール・ロジャース派が主流で、いわゆる「来談者中心療法」とか「傾聴」などの技法を知りました。それは、半分はおもしろかったんです。教員は人の意見を聞かずに上から決めつける人も多いですから、そういう意味ではカウンセリングのほうが民主的に思えた。
ところが、これはいろんな問題を個人に還元してしまっていておかしいんじゃないかという問いが出てきました。70年代から80年代にかけて、日本臨床心理学会でも大きな論議になって、そこから現在の社会臨床学会の活動も生まれています。
精神医学においても、反精神医学の問いがありました。社会秩序に適合できない人がなぜ治療対象になるのか。社会に生じた問題に苦しむ人を、その人の精神構造を治療するという方向に切り替えてしまっていいのか。正常/異常とは何か。この動きも、個人還元が批判されていたと言えます。
深層心理より表層の解決
そうしたなかで、心理学のなかでも、社会構成主義(※注)的セラピーやコミュニティ心理学などが出てきました。コミュニティ心理学では、個人の内面ではなく、個人の置かれた文脈が問題になります。社会構成主義的セラピーでは深層心理を探るのではなく、表層の問題に焦点をあわせ、具体的な解決策を探っていく。ですから、具体的に役に立つかどうか、有効性が問題になります。
一方で、それはコミュニティ全体の「健全」をはかるんですね。医療的なまなざしが、コミュニティ全体に広がったと言えます。不登校でも「早期発見・早期対応」が言われるように、「予防」が第一に掲げられる。スクールカウンセラーも、一対一の面談ではなく、教員や関係者をコンサルティングする役割になっています。カウンセラーは「まずは教員となかよく」が第一目標になってます。
――それは、いつごろから?
日本では80年代から広がりはじめます。不登校運動においても、「登校拒否は病気じゃない」というメッセージがありましたが、92年には、文部省も「不登校は誰にでも起こりうる」として、それまでの個人病理という見方を変えました。しかし、その後、95年からはスクールカウンセラーが導入されているわけです。その前後の文部省の資料をみると、コミュニティ心理学的発想法を取り入れていることがわかります。今もロジャーズ派は強いですが。
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