学校はたんなる入れ物 不登校でも人生困らない

 今回お話を聞いたのは、漫画家の鬼頭莫宏さん。鬼頭さんの作品は子ども若者編集部内でも人気があり、インタビュー取材に応じていただいた。漫画家としての活動のほか、大津に端を発するいじめ自殺など、編集部員自身のそれぞれの思いをぶつけた取材となった。



――漫画家を目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
 絵を描くのは子どものころから好きでしたが、「漫画家なんて、たんなる夢だ」と思ってました。

 ところが大学生のとき、投稿した作品で賞をいただいたんです。夢だと思い込んでたことに少しだけ近づけたことで葛藤しました。就職せずに夢の世界へ突っ走るか、それとも地に足つけて就職するか、と。悩んだ結果、まずは地に足つけて3年間働いてから結論を出すことにしました。サラリーマンとして3年間働いた後に会社を辞め東京に出てきました。

 自分で言うのも何ですが、私の人生ってじつに平々凡々としたものなんです。ただ、世の中の出来事に対して「何でだ? なんかおかしいぞ?」と、いろんなことに疑問を持つ子どもでした。デビュー当初は、そうした部分を漫画にすることも多く、漫画家としての原動力になっていたと思います。

――「みなそれぞれ、かけがえのない存在」という社会の風潮に息苦しさを感じています。

 最近はあまり言われなくなったのかもしれませんが、「命は地球よりも重い」っていう論調、私はすごく疑問を感じるんです。そんなことないだろうって。  自分の存在価値に悩んでいればいるほど「命は地球より重い」とか「かけがえのない命」という言説に一喜一憂してしまいがちですが、そこから離れたほうがいいというのが持論です。価値というと語弊があるかもしれませんが、それって結果ですから。

自分の価値をゼロに置く

 もっと言えば、その価値自体のよし悪しも「自分の心のなかの満足感」で決まるんだと思うんです。他人と比較して、自分の価値や位置づけを決めるのではなく、まずは自分の価値をゼロにおく。というのも、「誰かの期待に応えなきゃ」という呪縛に縛られているうちは、自分の満足感に拠ることは難しいんです。
 「あなたはかけがえのない存在だから」と言われるのがしんどいというのは、よくわかります。しかも、同じセリフでも身近な人に言われるのと、どっかの雑誌で書かれていることではだいぶ変わってきます。自分の身近な人であれば、たしかに居てくれるだけでかけがえのない価値があります。しかし、大集団のなかの一員という位置づけで言えば、「別に存在するだけで価値は何もない」と感じるのは至極当たり前だと思います。そういうオンリーワンな風潮に対して自分が応えられないとなると、自分に問題があるように感じてしまうこともあるんだろうと思います。

 しかし、さっきも言いましたが、「自分の価値はゼロである」というところからスタートすればいいんじゃないかと思うんです。そこからどれだけ積んでいくのか。その積荷も他人が評価してくれるものではなく、自分が満足できるかどうか。社会の物差しに自分を合わせるのではなく、自分の満足感に沿った物差しで生きていくほうがいい、というのが私の考えです。

 私自身、いま何のために生きてるかと言えば、死ぬときに「あぁ、楽しい人生だった」と思えるようにするためです。他人からどんなに褒められようが、けなされようが、基準は自分でしかないわけです。

 会社を辞めて漫画家になろうと決めたとき、同郷の友だちは「あいつはバカだなぁ」というかもしれない。けどそれでもいいやって思えたし、楽しかったんです。いまでは漫画でご飯が食べられてよかったなと思いますが、もし漫画家になれなかったとしても、「漫画家を目指したこと」自体に価値があって、満足感を得られるわけなので、それで死んだとしても満足できただろうと思います。お金も名誉もお墓までは持っていけませんから。まぁ、えらそうなことを言いながら、ウジウジしながらビールを飲むこともしょっちゅうなんですが(笑)。

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