不登校新聞

318号(2011.7.15)

芹沢俊介さんに聞く(下)

2014年01月24日 10:30 by kito-shin
2014年01月24日 10:30 by kito-shin

~メンヘル時代の居場所論~




自己を再構築するには…


 評論家・芹沢俊介さんのインタビューの最終稿を掲載する。

――個人化というのは、いい面もあるように思いますが?
 もちろん、そうですね。個人化というのは解放でもある。ひきこもるというのも、自己領域にひきこもるわけですし、それはすごく大事な領域です。でも、開き方が難しいという問題もある。いつでも、現実というのはプラス・マイナス両面あるわけです。また、個人化というのは不可避の流れでもあるでしょう。
 
 ただ、みんなが浮き足だっていて、すごく依存感が強まっているのは気になりますね。それは個人化の時代の弱さでしょうね。
 
 一見、自分本位にふるまっているんだけど、それはけっして主体的なふるまいではなくて、うまくいかなくなると、解決策をどうしてもほかに求めてしまう。自分が主体的にこの問題を受けとめてみよう、そこで葛藤してみようという感じがない。粘りがなくなっちゃっていますね。
 
 とくに親がそうであることが、子どもにとっては受難の要因になってしまっている。だから、それに対して意図的な対処の仕方を考えていかないと、ほんとうに大変なことになってしまうと思います。
 
――ひきこもっていても、たとえばネットではつながっていて、世間の視線からの撤退になれない面もあるように思います。
 ひきこもれないという問題ですね。大きな問題だと思います。ネットは自分との対話を拒んでしまう面があると思います。「ネットもいっぺん切って、とことん自分と向かい合ってみなよ」と言ってみたい気がしますね。それはとても豊穣な時間ですからね。
 
 つながりっぱなしでは、休むこともできないし、自分とも向かい合えない。自分の身体と心のなかに、そういうアイテムが組み込まれてしまっていて、それをどうやって外すんだろうなって思いますね……。どんどん主体が持てなくなって、"ある”が崩されている。そういう感じはします。そういう意味では、小学生の子どもたちがテレビゲームをやってた時代は牧歌的だったと思いますね。
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