連載「酒場の支援論」


 長く「焼き鳥病」を患っている。おいしい焼き鳥が食べたい。味のイメージははっきりある。とくだん高級なものは、ほっしてない。ごくふつうの焼き鳥でいい。それなのに出会えない。どの店もおいしいが、求めている味とどこかちがうのだ。そして、今日もまた理想の味を求め店を渡り歩く。
 
 酔った頭で考える。「ふつう」とはなんぞや。『不登校新聞』にも「ふつう」についての悩みが寄せられていた。学校に行っていない自分はふつうじゃない。不登校になってしまったらもうふつうの人生を歩めないのじゃないか。多くの子ども、保護者がそこで迷う。
 
 言い出しておいてなんだが、その問いにはじつはあまり興味がない。30歳の誕生日に考えた。「30年間なんとか生きてきたんだから、もう俺がスタンダードって言っていいんじゃないか」、それで、勝手に自分は「ふつう」だと決めた。それからずっと「ふつう」の大人として生きている。
 
 おそらく、それ以前は葛藤があったのだろう。自分は「ふつう」じゃないのではと煩悶したり、反対に「ふつう」になんてなるものかと反発したり。そうでなければ「もう俺が『ふつう』でいいや」という結論にはならない。時間が経ちすぎて当時の気持ちは思い出せないが、読んでいた本は覚えている。色川武大の『うらおもて人生録』。中高生に向けて書かれた本だが、20代でもずいぶん助けられた。


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