記者コラムで触れた綾屋紗月さんのインタビューを本誌291号から再掲します。


――どのような子ども時代をすごされたのでしょうか?
 一言で言えば、「人とつながりたいけど、つながれない」という思いをずっと抱えていました。とくに幼稚園は、登園しても手持ち無沙汰というか、まわりの子どもたちは嬉々として遊んでいるのに自分はうまく交われないし、楽しさも伝わってこない。「みんなと仲よくしましょう」という幼稚園で最初に習う規範、まずそこが自分に合わなかったんです。
 
 先生の指示があいまいだったということもあるかもしれませんが、毎日の遊びにしても年中行事にしても、流れ・見通しのようなものを明確につかむことができなくて、いつも不安で、イライラしていました。
 
 たとえば、運動会や学芸会などの年中行事の場合、いつまでが練習でいつが本番なのか、それがよくわからなかったんです。いつもより人が多いなと思っていたら、じつは今日が本番なんだということに当日気づくなんてこともありました。

――小学校に進学されてからは?
 幼稚園とちがって、小学校には時間割がありますよね。黒板のわきに時計と時間割表がつねにあって、いつでも目で確認できるというのは助かりました。しかし、休み時間に友だちとどうすごすかということについては依然としてハードルが高くて、モヤモヤしたものをずっと抱えていました。もともと身体が強くないということと、担任が支配的であったということもあって、不登校をした時期もありました。
 

綾屋紗月、熊谷晋一郎共著

一流大学という自分の「証明書」

 
 その後は、大学までエスカレーターで進学できる私立中学に進学しましたが、まわりの友だちとつながれないという焦りは和らぐところか、自分の居場所のなさに対する焦りも相まってどんどん強まってきました。追いつめられた自分には勉強しかありませんでした。いわゆる一流大学と呼ばれる大学へ入学する。それが人とつながれない、居場所がない自分にとって、まわりの人に自分をアピールするなによりの「証明書」になるのではないか、と考えました。ですから、高校に進学してからは、それまで以上に勉強するようになりました。

――高校1年生のとき、大きな挫折があったとうかがいました。
 秋ごろだったと思いますが、英語の教科書を読んでいて文字がちらつくなと思ったのもつかの間、急に文字が読めなくなったんです。中学生のころから、文字が読みづらいということはたびたびあって、目を細めたり、一行ずつ下敷きで隠しながらなんとか読んでいたのですが、めまいとともに、文字がまったく読めなくなってしまったのは初めての経験でした。「学校ってなんなんだろう」「将来、どうするんだろう」という不安のなかで「とにかく勉強だけは」とがんばってきた身体が悲鳴をあげたという感じでした。
 
 でも不思議なんですが、「もうダメだ」とパニックになる一方で、安堵感のようなものも感じていました。「がんばれば上に行ける」というプレッシャーのなかで、自分はどこまでがんばればいいのか、まったくわからなかった。そのなかで、ここまでがんばると自分は壊れるんだ、という限界がわかったのは、ちょっとホッとすることでもありました。

――「アスペルガー症候群」という診断を受けるに至ったそもそものきっかけは?
 当事者の手記を読んだのがきっかけでした。自閉症やアスペルガー症候群については、知識としては知っていたんですが、専門家が言う事柄とはちょっとちがうなと感じる部分が多くて。手記を書いたのは主婦の方だったのですが、自分の立場と重なったためか、「私といっしょだ」と思える部分が多かったんです。「なぜ私は人とつながれないのか」という、子どものころからあった問いの答えがここにあるかもしれないと思い、友人で小児科医の熊谷晋一郎さんにお話を持ちかけました。そして2006年、「アスペルガー症候群」という診断を受けました。
 
 私はそれまで、自分が感じていることが特別なことのように思えてなりませんでした。気のせいかもしれないからと、自分が思ったことや感じたことを隠したり、また感じないようにしていたこともありました。
 
 でも、私と同じような経験を持っている人がほかにもいるということがわかったとき、やっと自分自身の感覚を信じていいんだと、自分の存在そのものを認められるような気がしました。「自分の感覚は確かにある」と、証明してもらったような感じです。
 


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