不登校が生命を救う
2006年の秋の連続いじめ自殺は、何を意味したのか。いじめ自殺が社会問題化して、ここまで大きく取り上げられて長期に報道されたのは初めてのことではない。以前、本欄で紹介したように、86年の東京・中野の鹿川くんのいじめ自殺、94年の愛知県の大河内くんのいじめ自殺のときに次いで、3度目といってもよい。そのたびに、かまびすしくテレビ・新聞は識者の意見を紹介し、特集を組み、文科省は全国から教育長を集め、教育委員会は校長を集めて教員研修を実施したり、子どもへのアンケートを取ったりした。しかし、状況は変わらず、また同じようなことが生じた。
2006年の秋には、「いじめ自殺予告」があり、大さわぎになった。それに対して、当時の文科大臣は異例のコメントを発表、全マスコミを通じて流された。
それについて、いじめを受け、とうとう学校に行けなくなってフリースクールに来ていた子どもたちは「しらけるよね」「いじめのことって、大臣はわかっていないんじゃない」「これを読んで死にたいと思った子が思いとどまることはないんじゃない」「ますますがっかりして何も救いがない、と感じるだけなんじゃない」などと言っていた。
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