「不登校新聞」とつい旧名で呼んでしまいます。200号発行となり、本当に感慨深く思います。
1994年ごろ、中学生の自殺が相次ぎ、奥地圭子さんが全国紙の1面に「死なないで」という意見広告を出したいと言われましたが、どの親の会も一人ひとりの会費で運営していて、気持ちはあっても資金がないという歯がゆさがありました。
NPOで会社がつくれることとなり、大阪での世話人合宿で新聞社を立ち上げたいと提案されました。インターネットの時代に新聞?という声もありました。
あれから8年、よくぞ遅れることもなく発行できたと、編集局はじめ、発行・発送に協力された方々にお礼を申し上げます。
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