
2017年2月18日に行なわれた講演会「思春期・青年期の心を知る~子どもの巣立ちをともに支える」の抄録を掲載する。主催はNPO法人「アビリティクラブたすけあい」。子どもの自立、育ちについて、発達心理学・法心理学者の浜田寿美男さんが講師を務めた。
子どもの巣立ちをこの時代と照らし合わせて考える際、それがいかに難しくなってきているのかということをずっと感じてきました。
では、いったい何がそこまで難しくさせているのか。ここをきちんと見極めておかないと、子どもも親もさらに厳しい状況に追い込まれてしまうのではないかという危機感を持っていますので、今日はそのあたりのことをお話したいと思います。
"子ども”は変わったのか
「昔と今では子どもは変わってしまった」なんて話をよく聞きます。
ですが、そんなことはあり得ません。子どもが生物学的に変わってしまうなんてことが数十年単位で起こるはずがない。ただし、子どもが生きている姿そのものが変わってきたことは確かです。
私は1947年、香川県小豆島で生まれました。父は畳職人をしていましたが、そうそう仕事があるわけもなく、ほとんど自給自足の生活です。6人兄弟の末っ子だった私も、時が来れば当り前のように畑仕事に駆り出されるわけで、「親にさんざんこき使われたな」という記憶があります。何もわが家が特別だったわけではなく、1950年代当時は、子どもが家庭生活の一翼を担うことが常識だったのです。
一方、今は子どもが労働力として扱われることはほとんどありません。社会が豊かになったという意味ではよいことかもしれませんが、子どもの育ちとして考えた場合、そう単純に喜べないんじゃないかという気がしています。
"自尊感情”どう育てるか
近年、子どもの自尊感情というテーマが何かと話題になります。「自尊感情をどう育てたらいいのか」といった相談を学校関係者のみならず、親御さんからも受けるようになりました。
このとき、「ほめる」ことの重要性がしばしば強調されます。「私は価値がある人間だ」という自尊感情を育てるためには肯定的評価を積み重ねるべきであるとされ、どうやってうまくほめたらよいのか、ということに注目が集まります。
この風潮には私は懐疑的なんです。というのも、小さな子どもの場合はかんたんですが、小学校高学年にもなると、ほめること自体が難しくなります。あまり露骨になると、「親はなにか企んでいるんじゃないか」と、かえって勘繰られたりする。
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